かたりの椅子 公演情報 ニ兎社「かたりの椅子」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    「楽しみ」をみたくない
     なんだろう。難しいけど、観客へ、自分も当事者だよ、みたいな、他人事としてじゃない感覚を呼び覚ます、もしかすると演劇が演劇である意味かもしれないようなちからが、信じられているのかな、と思った。

    ネタバレBOX

     舞台のうえに、リアルなセットはない。象徴的な、窓のいくつも開いたおおきな壁があるばかり。これが、迫ってきたり、遠のいたりするたびに、僕は、客席にいるのに、世界がこちらを押しつぶそうと迫ってきたり、まわりの音すら聞こえないほど自分と世界と、間の溝が深くなったり、そういう感覚に激しく揺さぶられた。これは、僕も巻き込む物語だと感じて、冷静ではいられなくなりそうだった。みたくない、と思うところが多かった。

     物語は、とある町のアートフェスティバルをめぐるいざこざ。ゼッタイに本心を語ることのない、それが当たり前の世界に生きてきた官僚たちと、そういう社会を無意識に避けてきた芸術家とのちょっとした行き違いが、いつしかお互いの存在理由を賭けてぶつかりあう泥沼の争いに。大きな悲劇につながっていくまでが、一気呵成に描かれる。

     永久に交わらないふたつの思想。全員が「善」であるのは芸術家の思想だとわかってる。でもそこに、互いの陣営の個々人が抱える個人的な思惑が少しずつ上乗せされて、はなしはねじれる。それらの言葉に板挟みになる人たちが描かれて、彼らのような、長いものにまかれなければならない「恥ずかしい」部分を持たない人間はいないかもしれないことが、はっきりと示唆される。

     僕は、この演劇のいいところは、この板挟みになる民間のプロデューサーと、役所のおじさんが、じっくりじっくり描かれているところだと思うけど、同時に、この部分をきちんと観客が受け止めることは、相当に難しいとも思った。それは、ここで描かれていることが、僕たち観客が、基本的に「みたくない」ことだからだろうと思った。

     「演劇を観にいく」ということは、やっぱり、楽しいことをみたいということだと思う。そのことは、単純ではない。たとえば、舞台に対して、いまここで僕がやってるみたいに、ああだこうだと口を挟むことも、「楽しみ」のひとつ。反省をこめて言えば、自分の「良識」を確かめる、ということだって、「楽しみ」になる。

     この舞台は、そういう「楽しみ」の機会を与えながら、与えてくれない、という構造を持っているのではないか、と思う。つまり、普段の暮らしの中では色んなものごとを無意識にみないようにしている僕らが、突然ある一時、そのことについてあたかもずっと「良識」を持ち続けていたかのようにふるまうことができることを、描いているようにみえるのだ。

     「まるで彫像。まるでそう……たまに眺めるのはいいけれど、引きずって歩くには重たくない?」

     劇中のせりふだけれど、この戯曲そのもののことを言ってるみたい。それは、僕ら観客への、作者の投げたボールのようで、ボウリングのボールみたいに重たいそれを、僕らは受け止められるのか。観客の、観客としての力が(それは市民としての責任を引き受ける力でもあるだろう)、試されているような気がする。

    0

    2010/04/14 12:34

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大