罪~ある温泉旅館の一夜~【作・演出 蓬莱竜太】 公演情報 アル☆カンパニー「罪~ある温泉旅館の一夜~【作・演出 蓬莱竜太】」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★

    ねじれを、あやしむ
     きれいな舞台美術、役者さんの力量、そしてそつのない戯曲、演出。その向こうになにが見えたのか、じっくり振り返ってみる。

    ネタバレBOX

     父、母、知的障害のある兄、妹。とある温泉地での家族旅行。妹が「結婚するのやめる」と言い出すのをきっかけに、長い間、兄の障害のきっかけとなった高熱について、心にしまわれてきたひとりひとりの罪の意識、お互いを責める気持ちが、しだいしだいにぶちまけられる。

     蓬莱竜太は、観客の気持ちとのやりとりがとっても上手。なにげない風景から始めて、家族の状況、みんなの心の葛藤を、幻想的なイメージを挿入しながら徐々に徐々に見せていく。こちらがどう思うか、次に何を知りたいのか、常に一歩先を読んで、タイミングよく提示してくれる。一方的に見せつける感じじゃなくて、交渉するみたいな緊張感。気持ち良いな、と思う。

     じっくりと心の暗さを追求する物語だけど、「なんだって、みんな責任をとりたがるんだ。今日に限って。温泉地で」というせりふに笑いも生まれる。抑制の効いた演出、存在感のある役者さんたちの演技、積み木のおもちゃみたいな幻想的な舞台美術も相まって、バランスのとれた、感じのよい舞台にみえる。「闇があるから難しい、それでも家族は生活し続ける」というメッセージも、みんなに通じるものだ。

     でも、なんだかこの舞台、どこかに僕はねじれを感じる。描いているものが、とってもとっても小さいものに思えてならない。「家族の闇」という、誰もが抱える永遠の大きなテーマを描いていながら、普遍的な世界につながらない。それはどこかに、そつなく計算された作為があるからなんじゃないかと、僕は感じる。

     例えば「知的障害の兄」は、この家族の闇をあぶり出すために用意された「設定」みたいなんだけど、この「障害」という設定は、「闇」を大きなものに見せる、誰にも逆らえないものだ。それなのに、家族の個々のメンバーの抱える「闇」は、なんだか、「知的障害」を持つ家族特有のものではない、どの家族にも共通する「闇」のように描かれている。

     ここから、僕らは、自分の家族にもある闇の部分を想いだすかもしれないけれど、厳密にみれば、僕らの持っている闇は、「知的障害を持つ家族」の闇と、同じレベルではないと思う。それを、「同じ」に見せてしまう。この舞台には、そんな危うさがある、と思う。

     例えば、妹の抱える「闇」は、兄が雨の日に外に閉め出されるきっかけになる、「おもちゃをこわしたことを兄のせいにした」ことだったりするんだけど、こんなちっちゃな「闇」なら、僕にもある。でも、僕のちっちゃな「闇」は、「知的障害」に結びつかない。なのに、結論の部分は、僕らに共通するように感じさせる。つまりは、僕らの小さな「闇」を、大きなものに見せる作為を、僕は感じる。観客を、気持ちよく感じさせる作為を、僕は感じる。

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    2010/03/29 12:27

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