-即興音楽舞踏劇- 砂の城 公演情報 株式会社バール「-即興音楽舞踏劇- 砂の城」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    初日、完全に呑まれて帰り道の記憶があまりない程でした。愛とは死とは生きるとは救いとは罪とは幸福とは正義とは、渦巻く渦巻くうねる、深淵の嵐だ。ひたすらに彼らに問いかける、ひらすらに自身に問いかける。とんでもない体験をした。観るなんていう与えられる受身な行為ではない。これは体験だ。呑まれた渦に翻弄された。観る毎に気が狂いそうになる。即興とはいえ知らなければ即興とは全く思えない。それくらい質が高い。むしろその時その場で生まれる感情を縛られずに解き放って乗せているから質感が生々しくてどろりとしてて熱くて厚い。この手法は俳優によって合う合わないあるかもしれないけれど、生の演劇の真骨頂なのではないか。一度として同じ回のない即興だからといって、間違い探しをするみた違うところを見つけるような観方は野暮なことだと思う。その日その時に生まれたものをその日その時その瞬間に素直に享受したい。それでも記憶に残る残像が過ぎって。あぁ本当に即興なんやなと知る。でもそれはまたもう二度と出会えない。映像にも残らない。儚い。
    その日その日に生まれる聴けたハーモニーが美しかった。また聴く時いにはそれはまた違ったハーモニーで。マイク通さない生声での生歌、貴重、そんなん聴けるのしあわせて、耳が、心が、脳が震える。

    ネタバレBOX

    首吊り死体がぷらんぷらんしてる前で、多幸感満載の舞いが繰り広げられる場面、エグかった。あの場面においては主役は板の上にはなく。観てる側の内面にこそあったと思う。そんなことある?観劇してる各々の心がその時その瞬間の、主役なのよ。なんてエグイ・・・。

    登場人物中でわたしにとってはテオの心がもっとも難しい。推し量ることができない。近づくことさえできない。でも本来そういうものなのかもしれない。想像できる気がしてるだけで。わかることが大事なのではないのだろう。わかりたいと思うことが、きっと大事なんだ。
    幸せだとか不幸せだとか。罪だとか正しいだとか。悪だとか善だとか。そんなものは他人に決められることではなくて。人によって違うんじゃないかな。そうは思うけれど。それでも。大切な人には心からの笑顔でいて欲しいし、幸せであって欲しいし、存在してて欲しい。エゴであったとしても。

    登場人物中で最も救いがなかったのはゲルギオスなのではないかなと。幼少期より厳しく帝王学叩き込まれて育てられたあげく父には今際の際に弟を選ばれ人を愛することも愛されることもなく誰も信じられず頼ってみようかとした相手に裏切られて殺されるとか。なんかひとつでも救い・・・。でも救いというものの概念すら、他人には推量れないものなんだよな。死ぬことによってのみ救われる人もいるわけで。死というものに対する認識もその人に依るわけで。でもさ、それでもさ、真に理解はできなくても、大切な人には生きてて欲しいと願わせて欲しい。
    エウリデュケはズルい人。そしてその自覚は希薄なほうなのではないかなと。綺麗なものだけ見て辛い目にも遭わず何不自由なく育ったのだろう。だから綺麗な目をしていて、奴隷を使用人にしていながら奴隷売買で得た利益で生活してた現実を拒絶できる。無知は罪であると思う。知ろうとしないことは愚かであると。でもその穢れのなさは愛される。

    隙がなさすぎて即興に見えない域の即興なのだけれども。最も顕著に違いが出たのがゲルギオスとバルツァの関係性でした。日によって二人の間柄が目に見えて違う。しかもそれは打ち合わせなしにその日その時の舞台の上で決まっていたのだという。ゾクゾクします。本当にとんでもないものを目の当たりにしていたのだなと。映像化されないのは心底残念ではあるのですが・・・それが本来のあるべき姿なのだとも思うのです。もうこの目で観ることはできないのに、褪せることなくずっと在る。あんなに観終わったあと狂ったような気持ちになるというのに、観終わってすぐまた観たいと願ってしまっていて。何度でも、何度でも、それはいまだに続いてて。最高の演劇でした。

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    2023/01/06 01:19

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