ライダース・バラッド 公演情報 円盤ライダー「ライダース・バラッド」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    関戸氏と聴いても判らなかったが空宙空地(の主宰)で思い出したのがアゴラで観た多役を二人でこなす疾走ロードムービー。名古屋~関西が主な活動の場のようだが幅広く活動、短編集上演歴はコロナ前から。今回の円盤ライダーでは、常連男優(若くは劇団員)三名にゲスト女優をそれぞれ当てた二人芝居×三編であった。
    軽めのジャブから入って二本目そして三つ目と、いつしか深みに引き込んでいる。時系列に進む台詞劇であるが、密度が高く、それぞれ展開の面白さ、台詞の含蓄を味わわせる。円盤ライダー特有の「男の集合体」の過熱ぶりは見られなかったが、逆に男の単体が「女」との対面によって皮を引きはがさ冷や水を浴びた姿もまた一興。

    ネタバレBOX

    初めて訪れた会場は赤坂REDシアターからほど近い溜池山王寄り、外堀通りとの間に一本通る裏通りに入った所で、物々しい漆黒の車体が宵闇の中にそこら中に浮かんで些かぎょっとする。顔の無いアンタッチャブルな領域が公然と辺りを陣取っているのでこれは政府系か反社系か、と興味の目を注ぐが、見極められぬ内にその界隈に構えた店を見つけ、足を踏み入れた(赤坂と来れば政界の方かやはり)。
    店内はバーカウンターのあるスペースを背中に、ステージ側に向けてランダムっぽく配置した椅子とソファは多めにカウントしても20程度、椅子の前には安定した台を据えてドリンクが置ける仕様。隅の席に座った自分の前には縦置きした大型スピーカーが台代り。相変わらず「予め少人数キャパ」でやるこの劇団に普段抱いている疑問=採算は取れているのか=がもたげる。もっとも劇場を借りて行うのとは当然異なるだろうが。スカスカの客席がさほど淋しくないのは場末のジャズのライブくらいだろうか。胆が座ってなければ中々やれない。

    さて芝居である。
    三つの短編は短い暗転を挟んで上演され1時間15分程であったか。短編と言っても40分もあればガッツリな芝居にもなるがこちらは30分を切るショートショートと言える作品で、短い程難しいのはリアリティを確保しながら劇的瞬間を作り出す事。設定やテーマ性の「手」を借りて成立する物や、あるいは散文詩的な台詞で観客の想像にほぼ委ねた「ブンガク的」な代物と違い、時系列で進むリアルな人物二名による会話劇としては質が高い、と思った。

    まず男三人がざっくばらんな会話=前説で場を和ませ、ふっと二人が客席側に去り、残った男が佇む間に客席の背後のカーテンが半分引かれるとそこから女性が声を発して登場。「走馬燈って・・」と謎をかけるような発語。
    再会を懐かしむ間もなく男は女の注文に従い「死ぬ前に思い出す二人で暮らした頃のこと」を慌てて捻りだすが、どれもこれも食べ物のこだわりの事で言い合ったりとつまらない場面である(これを男女が芝居で再現する)。男は申し訳なさげであるが、「走馬燈」から想像された如く死別の話である事がやがて明らかになる。間もなく旅立つ女の方から男を訪ねた格好であるが、その事を知った男はどうにか女を納得させようと必死になるが、滑ってしまう。この場面で女は客席側に一歩出たあたりでトップからのサスで頬の輪郭だけが浮かぶ演出が何気に絶妙で、涙しながら笑っていると客に悟らせる。男も半泣きになる。
    ここで戯曲にない(台詞の説明がない)穴が気になり出す。
    二人は何かの事情で別れ、久々に再会した様子であるが、女はこの男の所に戻って来て、最後の一瞬の時間を共にしようとした。だからこそ何故別れたのか、男が女を捨てたのか・・等々が気になるのである。
    観客は自分が考えられる美しい背景事情を想像しても良いのだが、やはり表現の中にそれは欲しいと思った。今回は作演出関戸氏、ではなくが演出は主宰の渡部氏でこの一作目の演者。演出自らが演じる芝居の「感じ」があったな、と思ったのにはそのへんの理由かと。
    ストーリーの面白さに加えて、裏筋というか奥行というか、俳優が籠める事も可能ではなかったかと想像された(それが困難であったとすれば戯曲の問題である)。・・例えばもし男から別れを切り出したならそれは愛ゆえの選択であったか、愛がない事に気づいた故か。。
    芝居の冒頭から男は女の圧に負け、言われるがままに仕方なく?二人が暮らした時期の記憶をまさぐる。その中で生まれて来るのはその当時の「感情」ではないか。芝居では、女が「去る」となった時、男はまるで「今愛している女性が去って行く」かのように、引き留めようとし女の背中に声を掛けるのだが、果して男は「死んで恨まれたくなくて」気の利いた言葉をかけてやろうとしているのか、本当は後悔していると伝えたいのか・・それによって態度は異なるだろうしそのリアルな状態を見たいと思ってしまう。
    ドラマとしては、たとえ愛していなかった女性との思い出であっても、逆にその事に申し訳なさを募らせるといった事でも、リアルな感情の中に真実がある。日常に戻った男が、ハードボイルドの目玉焼きを食べてみる・・人生は思ってもみない発見(小さな発見であっても)の可能性がある、と思わせてくれればドラマは成立する。
    もし男が女をこよなく愛していたのだとすると、女の登場が男に及ぼすものは大きく、一度は去って行った女がそこに居る事の戸惑い、であったり、様々な感情が去来しそうだ。「それなのにこんな場面しか浮かばない」もどかしさが苦悶に近いものになったり・・そんな事を考えてしまった。

    二作目は車の内と、時々外、で展開するこれも男女の物語であるが、婚約した事実の上にあぐらかいてそうな男と、本気で婚約を見直そうと(親と合う日を翌日に控えた今日)思っているらしい女との温度差が妙味である。雨の中、ビンゴで当たった「夢の国」(ディズニーランドと考えてよい)チケットの当日、土砂降りのなか高速を走る車中である。女性は小さい頃夢の国に行った時の思い出話をする。そうした気分に浸りたいのである。男は雨の中、大して行きたくもなかった夢の国に向かっている事にぶつくさ言っている。女が話す何度も反芻しただろう小さい頃の思い出話とは・・その日沢山サインをもらったスケッチブックを、あるアトラクションの最中に池に落とし、スタッフにホテル名と部屋番号を聴かれ「もしあったら届けます」と言ってくれたのだが、後で母親と部屋に戻ってみると、新しいサイン帳が置かれてあり、見ると窓が開いてカーテンが揺れていた、ピーターパンが届けてくれた!という奇蹟の話(親切にも観客が真相を想像できる情報も入れて)をわくわく口調で語る。男はこの話にも超自然現象などあり得ない事をズケズケと語り、「現実」と「夢」の対立軸がこれほど明確でありながら婚約した二人が、特段不自然でもなくそこまでは見えている。ところが、女は男の「夢の無さ」にそろそろ業を煮やしている、といった風が見え始める。しかもサービスエリアで男が所用中、掛かってきた電話の相手が「いつまでも待ってるよ」と言ったらしい会話。戯曲の(説明)不足はこの不明な相手の実体が伏せられていて、女性にとってどの程度の存在なのか・・というあたりであるが、女性が本心から迷っている事と、男がそれまでの会話の中から実はある種の危機を察知したらしい事が、一風変わったクライマックスに導く。男がトイレから戻った時、「現実主義」な男の一世一代の大芝居を打つ。即ち、手の平の上に居るらしいティンカーベルが、男を捨てないで欲しい事、パッとしないけど真面目でいいやつだから、と擁護する台詞を(男のしゃがれ声で)言う。これを聴いた女性は、ややあって、「わかった、ただし条件がある」と言い、喋り始める(その中身はマイムのみ、雨でかき消される)。
    マリッジブルーをオチにした話ではなく、二人の関係を繋ぎとめるのは何か、どんな風が吹けば男女は結ばれるのか、といった含蓄がある。女が判りやすいサインを送り、男はやっと気づいてアクションを起こしただけにも見えるが、紙一重で変わる運命の不確かさと、個人の中にある確かさが感じられ、後味が良い。

    最後のは、いつも円盤ライダー舞台では三枚目が熱く語るキャラで賑やかす俳優だが、空宙空地の代表の一人でもあるおぐりまさこ演じる一人の女性とフードコートの丸テーブルを挟んでの会話劇。父娘の話としては、設定自体はありがちであるがよく出来た戯曲であった。戯曲もうまいが俳優(父役)の存在感が何気に抜群(変な日本語だが)。聞き役に回る時間を含めて父という人物と一体化したリアリティが「場」を信頼できるものにし、微妙な心情の移り行きが表情の変化に見えるようであった。

    円盤ライダーらしい男がうるさい群像劇を期待して出かけたが(大して観劇歴はないが)様々な演劇形態への挑戦も円盤ライダーの本義だろう。ただ今回のがコロナ下の苦肉の策であるとすれば(消去法で選んだ形だとすれば)少し寂しい。人は本来的に密になっていいし接触していい存在である・・コロナ(ウイルスによる病気でなく人間への忌避感という病気)を超えるあり方を見せてほしい。勝手ながら円盤ライダーは何故だかそんな期待をしたくなる存在である。

    0

    2022/12/16 08:46

    3

    0

このページのQRコードです。

拡大