みやこほたる 公演情報 劇団匂組「みやこほたる」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    「観たい」投稿をしたものの、観ない雲行きであった(雑誌掲載の戯曲を読む手もあるし)所、やはり松本氏演出に興味あり、またタイミングも合ったので久々に下北沢を訪れた。

    二人がそれぞれ、一人称で語り続ける二人芝居である。題材は1999年に実際に起きた、お受験殺人事件とも呼ばれる(らしい)文京区幼女殺害事件。作者がいつか書きたかった題材という事であるが、これを接点のない二人のモノローグ芝居にした。一人(京子)はこの事件をルポにしようと取材を続け、書き上げたという設定、今一人は事件の犯人で、名をみつ子としている。取材者とその対象という両者の関係は、序盤の台詞で把握されるが、その後、京子は自らも「みつ子」と同じ文京区で二人の子どものお受験の当事者となっており、その体験談が大半を占める。作者が体験か取材で得たネタが盛り沢山で、ディテールの面白さがあり、決定的瞬間(
    (事件の)を最後に自ら吐露させ、その彼女の人生と並走する取材者の語りで幕を閉じる所は、書き手としての巧さを感じさせる。
    が、観劇しながら(例によって体調↓のため「受信」し損ねた台詞もあったとは思うが)、今何が語られているのか迷路にはまったような時間がかなりある。そこで観劇後、買ってあったテアトロ掲載の戯曲を読んでみた。
    中々難しい戯曲で作者がもしこの題材にこだわるなら恐らく相当な書き直しを行なうのではないか。
    二人の人物の内、一方のみつ子は実在した人物(をモデルにした人物)、他方の京子は架空なのか実際の文京区民がモデルなのか、まあ作者の創造した人物だとして、みつ子と時代的な接点があったのか(それを事後的に京子は辿っているのか)、それとも時代はズレていて、同じような文京区事情が続いているという事を表したいのか、が判らない。
    紹介される同地区のお店の名前も、実在するものなのかどうなのか・・。ドキュメント性と、フィクション性の整理が為されていない。
    そもそもの話だが、加害女性(みつ子)の二人の子どもを通して犯罪の背景である文京区での教育・進路状況と、同じような話をなぜ京子にさせるのかが判らず、京子が今みつ子の話をしているのか自分の話をしているのかも、判らなくなる。彼女がとうとうと語る「自分物語」が、舞台の中でどういう意味を持たされているのかが不明瞭。
    エピソードの面白さが、全体の中に明確に位置づけられない事は如何にも勿体ない。
    やはり何と言っても、事件に関する考察の部分で、子育てから解放され漸く手探りでルポ執筆を始めた京子が、この事件をどうとらえたのか、そこが必ずしも明瞭ではない。作者が感じている何かが、言葉に落とし切れていない。
    この事件の核心は、加害女性の内面の病理と、社会との隔絶のあり方にあると思われるのだが、作者はどう考えたのか・・。犯罪(や事故)は一つの要因では発生せず幾つもの条件が重なって起きる。実際の事件を扱う場合は、ミステリー構造のドラマのように最後に「真相に辿り着く」ような物語にはできない。
    この題材を扱う最適な構造として作者は二人のモノローグ芝居を着想した、と思うが、今語られている町の物語であったりママたちの描写が、ドラマの「軸」に対してどういう位置づけになるのか、をより明確にしてほしかった。が、そこを詰めて行く作業は、より考察を深め、意味的に同じ文章や台詞が整理されて行くという工程になって行く。現時点ではこれで取り敢えずのピリオドを打つしかなかったのだろう。

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    2022/11/05 01:34

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