時計は生きている 公演情報 Rising Tiptoe「時計は生きている」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    音楽としゃべりのコラボが絶妙
    既に本公演の詳細は説明にUPされてるから、重ねて言うまでもあるまい。。(翁風)
    本編はダークコメディと簡単に括れるものではないことは確かだ。そこには一つの家庭を反映させながら、そのバックにのさばる企業が暗躍しているからだ。

    以下はネタばれBOXにて。。

    ネタバレBOX

    今回は小難しい言葉でのUPはしない。まあ、出来ないけれど。笑
    今回の芝居に限っては解り易く噛み砕いた説明のほうが観る側にとって親切だからだ。

    ババアとジジイはごくごく普通の夫婦のようにTVの前で寛いでいる。ここでのババアのセリフが絶句するほど絶妙だ。いつものことながらコミカルでテンポの速いセリフの中には世相を表現しながらも、コメディ的リズムに乗って私たちを楽しませる。ババアの吐くセリフだけで、今から始まるであろう「時計は生きている」という芝居の世界感を期待してフルフルと震えてしまう。
    そして、留まることのないババアのセリフは脚本家・宇吹萌の頭脳の回転の良さを思い知らされる。そんじょそこらの凡人ではないのだ。
    重ねてババア役の蛯原には、あの長台詞を一度も噛むことなくしゃべりまくったプロ根性を絶賛したい。更に蛯原の手が美しすぎる。
    な、なんだ?!この白い指は?男の手とは思えない美しさ!細いし。。”)

    さて、舞台は二人の前で放映されてるTVの中の世界とこの部屋にいるババアとジジイの2つの面を交差しながら展開させる。TVの中ではスポンサーの為に商品を売ろうとする司会者たち。まんまとその誘惑にのってしまう、こちら側の消費者(ジジイとババア)ら。対面するTVと消費者は一見すると消費者が主役のような感覚を受けるがそうではない。消費者はメディアによって動かされ、挙句、人生そのものも管理されてた、と気づく。しかしそのメディアのバックに静かに大きく佇む世界企業。メディアも企業そのものに動かされているのだから、ちっぽけな存在だ。
    メディアつまり企業は、ババアを撮影するというためだけに30年間閉じ込めて管理してきたのだった。ババアの人生の撮影だ。
    だから、ババア以外の周りの人たちジジイも含めて全てが契約によって動かされてたエキストラだったというのだから、それを知ったババアは絶句する。
    何のために?
    誰もが疑問に思うところだが、人生全てが作品なのだ。結婚も出産もなにもかも・・。ホラーじゃないのか?と思ったほど、末恐ろしいダークコメディだ。
    しかしこの物語は、それだけでは終わらせない。ババアの人生の終結までが契約の中身なのだ。だからババアには死んでもらわないと作品が終盤をむかえない。
    宇吹萌はいったい誰にババアを殺させるのだろうか?そんなドキドキ感がぞわぞわ~っとした良く解らない感情とともに襲ってきた矢先、ババアは自分の子供・サーヤに毒を飲まされて苦しみながら落ちる。

    ババアが死んだ後も何事もなかったように世界はその場その場の情景で動き流れる。TVの中の風景はTVショッピングやら人生相談のような、どーでもいいような放映が果てしなく続き刻々と時間だけが流れる。

    ババアは撮影のためだけに生かされそして死に、メディアは企業に傅き、世界は企業によって動かされていく。そう、私たちは時を刻みながら大きな見えない怪物に生かされ動かされているのだ。今日も明日もあさっても。


    追伸:物語の後半に入って空調の暖房が利きすぎてワタクシの思考が停止してしまいました。何度も空調を止めるように言いたかったけれど、芝居のセリフを聞き逃すまい、としているうちになんだか頭がボーっとして、くらくらして眩暈が襲ってきた。そうなると気持ち悪くなって、なんだかぐったり・・。可哀相だったのはキャストら。汗びっしょりで演じ切ってた。
    そんなだから、一瞬、聞き逃した部分もあって今回のレビューは正確ではないかも知れません。ご容赦を。すみません。。

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    2009/12/11 19:22

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