孤天 第二回「ボクダンス」 公演情報 コマツ企画「孤天 第二回「ボクダンス」」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    最高に知的で、笑えて、スリリングな舞台でした
    ●かつてコマツ企画の公演中「俺だけ規格外!」と叫んでいた様子が思い起こされる。「獣性」こそが魅力のひとなのかと思っていたら、それだけではない。そんな単純なアレじゃなかった。彼自身が存分に己の「獣性」をコントロールできる、猛獣使いでもあったのだ。

    ●「演技」「演出」の能力と、「自己演出」の能力はいずれもわけて考えなくてはならない異質の能力だろう。たとえ「演技力」があり「演出力」が備わっていたとしても、それはイコール「自己演出力」にはならない。この前面にたって人々に認識されることの少ない、されど決定的な実力=「自己演出力」を持つ作家兼俳優は限られる(野田秀樹、ハイバイの岩井秀人、tsumazuki no ishiの寺十悟などがあげられるだろうか)

    ●ここに川島潤哉の名前を並べたい気持ちに駆られつつ、一方そんな括りにおさめてしまうには少々のためらいがあったりもする。あくまでも「俳優」こそが彼の生業であり、俳優視点からみて何か完結した作品を世に送り出すことは出来ないかと考えて提示されたものなのだから、やはりそれは「作家」を出発点とする前述の演劇人とは異質のアプローチでつくられている。

    ●これまで「ひとり芝居」を「凄い」とおもったことはあっても、やばいくらい「面白い」とか普通の芝居より「こっちのほうがいい」などと思ったことはなかった。が、驚いた。まさか「ひとり芝居」を見てここまで心うたれるとは。そして「ひとり芝居」はきっと川島潤哉さんが表現活動をしていくうえで、もっとも適したフォーマットなのだろう。誤解を恐れずにいえば、これまで見たどの川島出演作品よりも彼の深奥部分に浸ることができた感触がある。

    ●きっと几帳面で凝り性な人なのだろう。劇中に登場する自由が丘的な店員の言葉を借りるならば、通常わたしたちが2、3のチェック項目で済ましているところを、彼は40くらいチェックして演技をしているのではなかろうか(笑)

    ●キャラクターの演じ分けや上演時間80分のペース配分、独特のビートの刻み方などテクニカル部分での凄みはこちらの期待通りの期待以上っぷりだったのだが、それよりさらにここで言及したいのは作品テーマの選定と、その昇華の方法である。

    ●ある四コマ漫画の例え。女が三コマ目までボッコボコにレイプされている描写がある。しかしさんざんやられたあげくの四コマ目で「セクハラよ!」と叫ぶと、瞬く間にボッコボコのレイプがセクハラということになってしまう。ギャグのようで、実はこれこそがテーマ。

    ●認識の齟齬、あるいは認識のすり替えといってもいい。

    ●コンテンポラリー的な暗黒舞踏的なそれに対峙した二人の恩師のコメントも同じで、読解力でひとひとり殺せると豪語する国語教師の「一をかいつまんで百に引き延ばす」見方も、「こうも考えられます」とひたすら相対的な視点を提示し続ける社会科教師の見方も、彼のおどりを観てなぜ泣いてしまったかの説明は一切できていない。当り前で、ダンサーの彼が泣いてしまったのは、咄嗟に彼のおじさんの思い出が脳裏をよぎったからで、それは観る側にとっても、やる側の彼にとっても、何の前置きもなく訪れたことだからである。

    ●深い断絶。しかし、感動とはそのくらいに誰にとっても超個人的な体験なのではないか。泣く、ということで共有はできても、なぜ泣くかまではガイドしきれないのではないか。そしてそれはそれでよいのではないか。どのキャラクターも滑稽に描かれてはいるものの、わたしたち観るものと観られるものの関係を、これはある面から言えばリアルに冷徹に捉えている。

    ●ヘレン・ケラーを単なる感動物語と思うな。これもネタ的に語られる台詞だが、まさにそのとおりで、ヘレン・ケラーを観て泣いている観客の100人が100人とも同じ文脈で泣いているとは限らない。というか、皆それぞれ異なる理由で泣いているのだろう。鈴木杏演じるヘレンを観た2003年当時のわたしも、そりゃもう例にもれず泣いてしまったわけだが、それでも今思い返せばこの言葉の意味がわかる。が、これ以上の注釈は上記の国語教師のような誤解を差し挟むことになるかもしれないので、このくらいにしておきたい。勝手ですみません。でも、勝手にしかしゃべれないものなのだというのもこの作品のお墨付きじゃないか(笑)

    ●ラスト間際のダンサーが立ちつくすシーンは登場人物たちの独白が繰り返されることによってつづられる。「なんで俺は泣いてるんだ?」川島潤哉の芝居というだけでも十分に効くが、やはりこれがひとり芝居でやられているということがとても大きい気がする。それぞれの「個」や、あるいは「孤」を語るうえで、これほど効果的で魅力的な上演形式があるだろうか。川島氏の前傾姿勢気味なアーティスト魂に身震いしつつ、それでも絶対に外さないと確信を持って上演していたのであろうしたたかな興行主としての川島氏の策士ぶりにも心打たれたのでした。

    ●というわけで2009年度、80本ぐらいお芝居を観てきましたが「もっとも驚かされた」という意味ではこの作品がぶっちぎりにNO.1です。

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    2009/12/08 03:55

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