フロスト/ニクソン 公演情報 シーエイティプロデュース「フロスト/ニクソン」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    もう少し小さな劇場で観たかった
    観終わっていろいろなことを考えさせてくれた作品。
    と言っても、良い意味で言ってるのではないけれど。
    鈴木勝秀演出は「ドリアン・グレイの肖像」に続いて
    の観劇。前作でも感じたが、この人の演出は、俳優の
    力量に負うところが多いとの印象を抱く。
    栗山民也のように俳優の特性を知り尽くしたうえで、
    さらにプラスαの魅力を引き出すことによって作品が
    さらに面白くなるというのでもなく、蜷川幸雄のように、
    「こういう見せ方もあったのか」という商業演劇らしい
    インパクトもない。平たく言うと私には演出の妙
    というのがあまり見えてこないのだ。この俳優たちなら
    こんな感じに演じてこんな作品に仕上がるだろうなという
    予想以上のものを与えてくれない。
    「ドリアン・グレイ」の時の肖像画のときと同様、舞台背面のスクリーンに
    抽象的な模様の動画が場面転換時に映し出される。鈴木氏が気に入
    っている演出なのかもしれないが、同じ手法なのが残念。

    「スポットライトが照らすのは一人だけだ」という台詞が劇中
    にあるが、今回の舞台も大空間の中で大スター北大路欣也の圧倒的な
    存在感だけが残った。
    このハコの大きさでは、そうするしかなかったのか。本当は
    もっと小さな劇場(たとえばシアタートラムのような)
    で上演したほうがふさわしい戯曲だと思う。
    その点では、次の巡演先である名鉄ホールのほうが広さは
    ちょうどよい。

    ネタバレBOX

    TV司会者としての地位を向上させたいフロストと、ダーティーな
    イメージを払拭して再び政界に帰り咲きたいニクソン。
    この2人の息詰まるようなインタビュー対決を見せる芝居だが、
    北大路と仲村トオルでは舞台俳優としての力量が違いすぎ、TVなら
    それなりに見ごたえが出るのだろうが、舞台ではそうはいかない。
    仲村は大柄で颯爽としており、舞台映えはするが、演技のほうはいま
    ひとつ。TVの仕事が多い俳優によくあることだがワイヤレスマイクの
    せいか、彼の声だけがひときわビンビン響き、それがマイナスになっ
    ている気がした。
    北大路は自分に役を引き寄せて演じるタイプなので、このニクソンも
    我々の知る米国大統領ではなく、当然、北大路ニクソンとなった。
    政治家の清濁併せ呑むずるがしこさとか大胆さ、図々しさは感じられず、いかにも誠実で神経細やかな人格者に見える。この作品の映画化が決まったとき、ジャック・ニコルソンも食指を伸ばしたそうだが、私の中でもニクソンというとニコルソンのイメージが近い。
    ニクソンは時間稼ぎと情に訴えようとする計算もあり、家族の話を延々として
    フロストを煙に巻く。ちょっと嫌味も感じさせる場面なのだが、北大路という
    人はふだんも空気を読まずにプライベートのことを自慢げに語るタイプではなく、しかもそういう礼儀正しさがにじみ出て消せない人だから、嫌味は感じないし、役にちょっと違和感が出る。
    そこで思い出したのが彼の父、市川右太衛門を以前、北大路の出演する劇場で見かけたときのことだ。時代劇の大御所俳優だから、ロビーでも彼の周りはファンが取り囲む。顔見知りでもないファンの前で心から嬉しそうに延々と右太衛門は息子自慢を始め、席についてからも開演直前まで近くに座った人にまで振り返りながらニコニコ息子の話を続けていた。ほほえましくとても感じはよい人だが、聞いている相手のことなどまったく気にしていない話振りだった。しかも右太衛門こそ「説得力の俳優」で、どの役で出てきても、必ず最後の場面で相手を諄々と説得する。ニクソンこそ、右太衛門にふさわしかったかも。きっと北大路も父のことを思い出したのでは、と興味深くもあった(PPTがあれば、聞いてみたかったが)。
    劇の冒頭で、ニクソンの辞任の演説があるが、このときに感じる誠実さが、北大路には、最後、フロストから贈られた靴を万感を込めてじっと見つめる芝居まで、ずっと続いていく。
    身内への愛を強調するあまり、墓穴を掘ってしまったニクソンの敗北感とある種の後悔と安堵感が交じった場面だと思うが、北大路ニクソンには権力への執念や愚かしさより、同情の念さえ感じてしまう。それが芝居の欠点にはなっていないからかまわないと思うが、戯曲の持ち味とは少し違うように思う。
    脇を固める安原義人、中山祐一朗、中村まことといった俳優たちもどちらかというと、小さな劇場で持ち味を発揮してきたので、演技力とは関係なくこの空間にはなじまない感じだ。その中で、語り部でもあるレストンを演じた佐藤アツヒロは、空間が生きる芝居をしていた。やはり、新橋演舞場や新宿コマのような大きな劇場での場数が生きていると思う。
    プログラムを読むと、鈴木勝秀は「この芝居のテーマは愛」ととらえ、「愛があるから、人間は弱さを見せてしまう」ということを訴えたかったらしい。そこに執着するあまり、きれいごとの芝居に終わった感じは否めなかった。

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    2009/11/30 07:49

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