4.48サイコシス(演出:飴屋法水) 公演情報 フェスティバル/トーキョー実行委員会「4.48サイコシス(演出:飴屋法水)」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    心風景を伝えるイマジネーション
    イメージを作り上げ伝えるための
    作り手の手練に呑みこまれてしまいました。

    観る側の感じる心が悲鳴をあげるほどの
    表現の強さがあったかと思うと、
    包容力と粘度のある表現がやってくる。

    痛みを伴う作品ですが・・・・・・、美しかったです。

    ネタバレBOX

    この戯曲、
    少し前にDull-Colored Popが上演したのを観ていて
    そのときには、徹底的に打ちのめされたのですが
    (谷賢一氏の演出力もすごかった)
    今回は、戯曲の構造が少しはわかっていたので
    やってくるものをじっくり見つめることができました。

    「4.48 サイコシス」という戯曲自体が
    どのように書かれているのかは知りませんが、
    シーンがあって、その中で表現すべき物語があることは
    間違いないらしい。
    どう表現するかは
    演出家の裁量に委ねられているのでしょうけれど。

    冒頭のボクシング、
    戦う自分、励まし、折れる自分・・・。
    人間関係のこと、うまくコントロールできないこと。
    不安、脈絡のなさ。
    主人公の心に浮かぶもの奇異さと鮮やかさ。
    観る側は出口のない森に迷い込んだような気持ちになって。

    音、過敏になったように聞こえてくる音。
    言葉、鎖を外されてさまよっているイメージ。
    リアリティを持った狂気の果てに
    その時間がやってくる。

    バランスが比較的保たれた時間の微妙な不安定さは
    薬によってコントロールされているのかもしれません。
    その、冗長でどこか慰安に欠けた時間が
    じりじりと観るものを浸蝕していく。

    7をひくのはシンプルかつ明快で、残酷なテスト。
    並んだ様々な意識が数字を刻んでいくシーンのコミカルさに
    コアにある意識の自虐的なウィットが伝わってくる。
    医師の言葉、統合されないつぶやき、つぶやき、つぶやき
    機能しない電話、恐れ、リストカット、血の慰安、甘い死への誘い。

    恐怖と慰安の混在した不思議ないごごちに浸潤されるなか、凄くクリアな画質で目の前に広がる。言葉がその空気を導くのではなく、導かれた空気のなかに言葉がちりばめられ、すごく澄んでいるのにどこかぼやけた風景に、いらだちが混ざる。

    それらが、軋みを伴いながら一つのモラルに再び縛られていく姿も
    圧巻でした。モラルが荒っぽくがしがしと積み上げられていく中で、詠唱とも祈りとも聞こえる声が心を揺さぶる。
    狂気のぬくもりから抜け出すような高揚が生まれ、でも、正気だからこそ見える行き場のなさがあって。

    心が肉体のなかに取り込まれていくようなラストシーン、そしてその場所がステージであることを観客に示す終幕に愕然。観る側の心に浮かんだものの主観と客観が逆転するような、あるいは観客がその世界からサルベージされるような終幕に、ただただ息をのみました。

    この秋に観たふたつのサイコシス、胸を突き刺すように作者の風景が伝わってくるDull-Colored Popヴァージョン、深く刷りこまれるように広がっていく飴屋ヴァージョン。お芝居というのは戯曲を受け取って育てる演出家のイマジネーションの賜物であることを、あらためて思ったり。

    観る者にとっては、どちらも印象に深く、またふたつの作品がそれぞれを浮かび上がらせることも、とても興味深かったです。

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    2009/11/22 09:15

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