コーリングユー 公演情報 快快「コーリングユー」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    快快を一言で言えば「全く読めない」、製作と思考のプロセスが「想像がつかない」。こりっち的には第2回アワード第一位を岩井秀人作品をアレンジした舞台で受賞とのこと。
    自分の初見は2018年アゴラにて、メンバー3名による奇妙なパフォーマンスにはトークゲストの岩井氏が「あれ何?」とガチ突っ込みして笑いが起きていた。その後KAATで多田淳之介の「再生」を岩井演出バージョンで上演、後藤剛範や元メンバー中林舞も加わり、私的には「再生」初体験で衝撃であったが、快快の正体は依然不明。
    身体表現に傾倒したグループではあり、集団制作を行なう集団のようで一つのポリシー、才能がリードする製作でないため、構成メンバーによって変容すると思われる。今回の作品も海のものとも山のものとも、であったが、詩人・鈴木史郎康を扱うというので鋭い方向性はありそうと踏み、足を運んだ。
    多彩な局面が飛び出てくる。休憩を舞台上で行なうが、客の姿は見えない体でやるので成立している。アゴラで観た時と同じ3名プラス上手側でキーボードと機材で音を出し続けている女子の4名で作る舞台はまるで子供の遊び時間のよう(即ち永遠)であるが、詩人から作り手が受けたもの、授かった何ものかをじんわりと伝えて来る。それは「現代」が、あるいは現代を生きる自分が、時間と共に失って行くもの、あるいは負わせられて行くものからの「解放」を示唆する。史郎康の言葉を言う天の声(雑音混じりのラジオから聞こえる女性の声)が、宇宙との交信のよう。・・人は人生を線で捉えるが、過去は一切なく、未来もなく、現在という点だけ。
    延々と続く時間を象徴する舞台上の大きな三角形の上で、演者は移動したり止まって何かをやったりする。時にそこを下りて歩いたり、三角形の中にある水場(浮き輪が浮いている)や、電話ボックス。演者の衣裳も含め風景としてはリゾート地。電話ボックスの使い方が面白い。開幕してのっけに誰か(多分史郎康)に電話をかけ、今から舞台やるんだけど大体○○分位、受話器置いとくから聴いてて、途中眠くなったら寝てもいいし・・半前説的な台詞で始まる。で、電話ボックスだが、途中何度か演者が置かれた受話器を手にとって電話の向こうに話しかけるのだが、相手が実は認知症かのような仄かしがチラと過る。この仕込みによって、聴く者は、折節に読まれる言葉が「詩人の言葉」とも「痴呆老人の言葉」とも解し得ることとなる。すなわち、一詩人という存在を超えて行く。聖書にある預言者(神の言の媒介者)は詩人と同義と言われるが、権威が認める者だけが詩人であるとは限らない。
    さり気ない工夫の数々、ディテイルに知とユーモアが潜み、相変わらず快快という集団の正体は判らぬが遊び時間を存分に堪能した。ラッキー。

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    2022/09/05 14:28

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