帰還不能点(8/17~8/21)、短編連続上演(8/25・26)、ガマ(8/29~9/4) 公演情報 劇団チョコレートケーキ「帰還不能点(8/17~8/21)、短編連続上演(8/25・26)、ガマ(8/29~9/4)」の観たい!クチコミとコメント

  • 期待度♪♪♪♪♪

    全部は無理・・未見の「ガマ」だけは観たいと思っていたんだが・・見逃した。
    沖縄返還50年、今企画の当初の眼目も「ガマ」だったのでは?と推察。

    45~72年、引き算すると27年間も「敗戦国から奪った領土」として米国占領下におかれ、被虐の時代から念願の本土復帰、もっとも沖縄の独立国家路線を唱える人も一定数いたのは日本国が沖縄を冷遇した歴史を「思い出せ」という気持ちがあったのだろう。新たな支配者の記憶の方が新しく苦しければ、一つ前の時代に戻ろうとする心性に傾く。しかし「現実路線」が常に多数派となり、日米による「本土復帰」という図面に従うこととなる。・・しかし思いもしなかっただろう。まさか以後50年も米軍駐留、治外法権を抱え込む事になるとは・・・

    こうして、歴史の中の人間の感じ方や目線というものを想像する。
    想像力は映画から、文字から、そしてより強力に演劇からもらった。
    もっと想像を広げてみる。江戸時代に確立された身分制、穢多非人(今はワープロの変換候補にも出て来ねえわ)は、百姓のアイデンティティにとって必須アイテムだったと思う。日本人は我慢強いなどとよく言うが「下がある」と思えばこそ、お偉い方を上に戴いても「おらっちはお上の側だでよ」と耐えられる。偉い人を上に背負ってる方が楽ってこともある。責任は負わなくて良いし、戦乱の時代は槍を持って戦って死ななくて良い。そこそこの禄と、地位を与えられてりゃ、それが平和である。出る杭になるなどとんでもない。だが・・自分が蔑んでいる相手から意見されるのは許されない。自意識が発動する。「沽券にかかわる。」沽券とは、お偉い方から与えられた根拠不明の身分証のようなものと言えるか。安倍晋三はある選挙演説で言った。(あべやめろ、の声の方向に向かって)「こんな人たちに私は負けるわけには行かない」。この正義のヒーロー的な(歯の浮く)台詞に、靡いた人が、現状を見れば多かったという事だが、これは意味論的には、安倍支持の側に立つことで「お偉い方」の陣営に入る事ができ、「正しい存在」としてお墨付きを与えられる、という事である。
    政権が変りそうもない印象を演出し、変える意味はない(瑕疵はない)と喧伝し続けてきたのも、「良い政治」を行なう事で人民を守るための方便ではなく、ただ自分らが「政権をとり続ける」目的だけのためであったことは数々の疑惑で明白だ。

    問題はそれを歓迎する「民」の側で・・・、21世紀の日本も400年前と殆ど変わってねえな。。と言っても仕方ない事を呟いてしまう。社会に(理不尽な)階層があるのが「常態」であり、むしろその方が有難いってのが日本人の殆どDNAに刻印された精神のありようなんだろう。。
    DNAレベルの欠陥を正して行くのは大変だが、沖縄の権利を踏み躙る構造を容認し、痛痒を感じなくなっている自分、他のアジア諸国を下に見て収まっていられる自分に、「おや?」を見出す機会をつくる一端を、演劇が担うことは、演劇の「政治手段化」でも何でもなく、ただ明快に「人間回復手段化」だと思う。
    入管で死亡させられたスリランカ人女性が、もし欧米国籍だったら抗議の声の上がり方は一桁違っただろう。

    三行で終わらせるつもりが脇道に逸れに逸れた。三行目・・
    『ガマ』再演を待望す。観たい!

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    2022/09/04 23:27

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