満足度★★★★
ちゃんとしてる
一場、七幕。
暗転するときに、照明の残光に浮かぶ苦渋の表情を浮かべた役者さんの表情が妙におかしい芝居でした。
***
思い悩んだ演出家の手によって、市民劇団の「桜の園」に、ドリフの味付けがなされていく。演出家の周りには、ひと癖もふた癖もある、へんてこな役者たちがいて・・
と、王道だ!これ!
そこには芝居という表現への信頼がある。作劇のモチベーションは、破壊ではなく、建設。
意表をつかれる新しさはないし、多分、狙ってもいない。
私はチェーホフの桜の園に、ドリフの味付けがされていく様子をニヤニヤみて、数度声を出して笑った。なんか、ちゃんとしてる。
商店街の世話役風のおじさんが、小劇場スターの安定感。
へんてこなキャラクターのへんてこキャラクター勝負となりがちな、この芝居形式が、ギリギリのところで
「面白い芝居を作りたいけど、面白い芝居を作るのって難しいよね」ストーリーに乗っかっていられたのは、この世話役風のおじさんのツッコミの誠実さが一助している。相手を全否定するではない、一部受け入れてのツッコミ。
煮詰まった若い演出家が喜劇とは「タライを落とすことなり」と確信して、脈絡なくタライを落とそうとするするところへ、世話役風のおじさんは「タライを落としたからと言って、笑えるわけはないんですよ!」と言う。
世話役風のおじさんは、”歯切れよく声を張って”若い演出家にツッコミを入れるのだが、それが全否定ではない。
演出家の苦悩に共感した上でのツッコミになっている。
へんてこを笑いに変える機能だけではなく、演出家と共に苦悩を背負いストーリーを進める推進力になっている。
字に書くと至極まっとうで当たり前をやっているようになるが、これがなかなか難しい。稽古を毎日重ねていると、刺激の強い方に演技はシフトしていきがちなもので、動くものがあれば噛みつく狂犬みたいなツッコミ担当になっている役者さんを見ることは少なくないし、逆に、ストーリーに馴染み過ぎて、ツッコミとしての機能が薄れ、華のない意見交換になっているものも見る。
世話役風のおじさんを演じる吉田陽祐さんは手練れでした。
さて一方の、世話役風のおじさんにツッコまれる、へんてこな劇団員たちですが、
「その役なりの人生を背負った」たたずまいを幾分放棄して、変てこであることにウェートが置かれているように私には思われました。何だか、ツッコミ待ちの順番に並んでいるような。
と言って、この形式の芝居の多くに私はそういう印象を受けるので、気にならない人には気にならないのかもしれない。ロックバンドのライブを見に行っておいて、「俺、ギターの歪んだ音が得意じゃないんだよね」というのはフェアじゃない。 じゃあ、見に来るなよ、という話だ。
脚本はへんてこテンコ盛りの中に知性が感じられるところが好ましい。演出では、芝居の導入部から前半にかけて、細かく役者が舞台を出入りするところで、いちいちバタンバタン扉の開け閉めの音がするのが気になったが、17人もの役者を舞台に上げて、破綻なくまとめあげる力はたいしたものだ。人がいっぱい出てくるシーンは、バイトが抜けられなかったり、今日風邪ひいて休みますがあったりして、なかなか全員揃わないんですよね。
お値段2200円と、まだ安め。幕が下りて礼を終えたあた、軽くテーマソング的な歌を全員でサクっと歌ってバイバイというのが、サワヤカ。