実演鑑賞
満足度★★★★
現代史の裏面の事実(ファクト)をちりばめ、巧みな作劇術で一編の現代史エンタティメント劇に仕上げた井上ひさしの代表作だ。この舞台が時代設定した三月後に広島で起きた悲劇を思えば、そくそくと胸に迫る名作である。久しぶりにこまつ座の公演で見た
作劇については既に言い尽くされていると思うので今回の公演について。
初演〈1997年〉は、新国立劇場の中劇場のこけら落とし、芸術監督だった渡辺浩子の演出、森光子をはじめ、大滝秀治(民藝)、小野武彦(文学座・六月劇場)井川比佐志(俳優座)。三田和代(四季)当時、随分妙な座組だなぁと思った記憶があるが、日本演劇界(現代劇)を挙げてこの作品に取り組む、と言う意気込みだったのだ。昭和史の大きなハイライトである敗戦を素材にした二十世紀総決算である。
冒頭、終戦後に、長谷川海軍大将(たかお鷹)と陸軍針生大佐(千葉哲也)が一人の人間の歴史の中で果たせる責任について対立する。初演の時はまだ多くの戦争責任者も、軍隊経験者も存命だった。今は違う。筆者は終戦時小学三年生、とても彼らと同じ経験をしたとはいえないが、その現実は子供ながらに体験していて、作者の非戦論には本能的に傾く。今回の公演は、やはり、と言うか、初演の時の張りつめたような緊張感は失われていた。それが冒頭と幕切れにも表れている。それはその時代と共にしか生きられない演劇の宿命のようなものだが。
次に、この作品の果たした役割。現在の若い劇作家たちは歴史を素材にした作品をよく書く。時代劇、と言ってもいいかもしれない。戦争が遠くなった世代の古川健、野木萌葱、詩森ろば、みな、近過去をうまく書く。その原点はこの作品の成功にあったようにも思う。現実にあった事実の上にフィクションを構築することで「真実」を描けるという確信とでも言ったらいいだろうか。これは、ファクトを素材にした前の世代の木下順二、久保栄、三好十郎などと違うアプローチである。これはフィクションの裏表で、ある意味危険な面もあるのだが「演劇」と言う文化の最前線の大きな戦術変化でもあったと思う。
観客席は八分の入り。驚いたことに民藝の客層よりも年齢層は高い。平均80歳くらいか。これには井上ひさしも少しがっかりするのではないだろうか。野田やケラがすでに試みているように思い切って若い演出家と新しい俳優を起用する時期が来ているようにも思う。半端な座組ではとてもこの難局を乗り切れないだろう。
余談になるが、この芝居でも素材としている、官憲との演劇の関係で言えば、戦後も長く新劇に対する保守派の警戒感は強く、新国立劇場の建設・運営については政府(文部省)と演劇界で長年の対立もあった。国立の劇場のこけら落としには官・民の確執の一つの決算でもあった。これは日本の現代劇の大きな屈折点でもあるので、まだ関係者が存命の内に第三者的な観点から事実関係だけでも明らかにしておいた方がいいと思う。
これも一つの二十世紀裏面史である。((現在の新国立劇場の惨憺たる官製運営を見ているととても自主記録できる状態ではないので))