何待ってんの? 公演情報 ほっぺ向上委員会「何待ってんの?」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    物語(脚本)は、サミュエル・ベケット作「ゴドーを待ちながら」(二幕の悲喜劇)を擬えており面白いが、観せる(演出)工夫がほしいところ。せっかくの観せたい内容が、観客に十分伝えきれないようで勿体ない。
    (上演時間1時間40分)6.27追記

    ネタバレBOX

    この物語も『ゴドーを待ちながら』と同じ2幕劇(途中で暗転)。中央に信号機(柳橋)が立ち、下手に公衆電話があるだけのシンプルなもの。

    第1幕は浦尻湊(小山田匠サン)と虎後凛(井澤佳奈サン)という男女が待ち続けている。誰を待っているのか、もしくは何を待っているのか?2人は待ちくたびれて、たわいもなく滑稽で実りのない会話を交わし続けている。そこに泉夫人(太田華子サン)と召使ロボット・ラッキー(内川大輝サン)がやってくる。ラッキーは首にロープを付けられており、ラッキーは夫人の命ずるまま ぎこちなく踊ったりする。しかし「考えろ!」と命令されると突然、哲学的な演説を始める。夫人とラッキーが去った後は…。
    第2幕においても浦尻と虎後がまた何者か何かを待っている。1幕と同様に、夫人とラッキーが来るが、夫人は盲目になっており、ラッキーは何もしゃべらない。そして2人が去る。今日も何も起こらず…。人が「今この場所に存在すること」「この瞬間を生きること」を描いており、先の見えない不安、確かなものなど何一つないという恐怖、それでも同じ繰り返しの毎日を生き続ける。

    「ゴドーを待ちながら」(当初のタイトルは「待つ」らしい)では、ゴドーが何者であるかは劇中で明言されないが、何となく人であることは、容易に解釈出来る。しかし本作は更に曖昧な設定である。何もない空間は空虚感であり、同じような展開を2度繰り返すことで時間の経過と永続を暗示させる。物語は大きく畝らず、分かったような分からない会話が延々と続く。ただ、時々鳴る公衆電話によって意識の変革なり待つ必然性を表現している。2人の間には恋愛感なり依存し合う何かがあるよう。それぞれ自己にある葛藤なり苦悩らしきもの、そして孤独感を感じる。
    2人は生きているのかといった疑問…繰り返しは此岸同様、彼岸でもあるのか?何となく太宰治を想像し、玉川という地名、信号機(柳橋)という花街がさらに膨らませる。彼の短編小説「待つ」も重なり2人の関係性を連想してみる。公衆電話は彼岸と此岸を結ぶ年に何回かの連絡(宗教的、文化的な儀式)のように思える。

    表層的には、暇つぶし的な時間経過の中に「ゴドーを待ちながら」の演劇的な面白さがあるらしい。さて当日パンフで、金曜日のアイさんが「自分がより有意義だと思えることに時間をを費やしたい」、太田華子さんは「無駄が生きる上で結構大事なのかも」と書いており、二人の思いが伝わる“暇つぶしではない”公演であった。

    演出で2点気になる。
    第一に、会場に段差ある客席を用意しているが、演者が板(床)に座り寝そべった演技をした際、客席後方では観づらいと思う。特に客席よりで演技をすれば前席の人影に隠れてしまう。
    第二に、空調・換気によるfan(ファン)が回る音によって、演者が小声で呟くような台詞が聞き取り難い、もっと言えばかき消されてしまう。
    観せるために、何らかの工夫(例えばベンチを置く等)が必要だろう。
    次回公演も楽しみにしております

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    2022/06/26 16:38

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  • 金曜日のアイ 様

    コメントありがとうございます。
    面白く観劇させていただきました。
    拙文ですが、追記いたしました。
    次回公演も楽しみにしております。

    2022/06/27 14:42

    ご来場ありがとうございました!

    2022/06/27 00:05

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