「ロミオとハムレットの夢物語」 公演情報 アイサツ「「ロミオとハムレットの夢物語」」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★

    作る側の世界
     なにやら、最近はやりの演劇の、コピペのような印象。残念ながら、楽しめなかった。

    ネタバレBOX

     「ハムレット」の劇中劇として、「夏の夜の夢」のボトムたちの芝居が上演されるのが、「冬物語」のレオンティーズのお城、という、シェイクスピアのザッピング。松岡和子訳のあとがきに忠実に、「メタシアター」という側面をクローズアップした舞台。

     「演劇」というものを「演劇」自身が批評する、自己言及スタイルのために、シェイクスピア劇をみつめる観客が、舞台のはずれに二人。劇中人物のパック(死後のロミオ)と、大学生の男の子が、劇をみつめる。さらにそれを、舞台から一段降りた、上手のはずれにいる、演出家が、みつめる。観客は、それら全部を、みせられる。

     ずっとゲームに夢中の大学生が、次第に演劇に引き込まれて、最後、ハムレットのラストシーンに介入して、ジェノサイドを止めようとする「感動的」な姿をみても、なにも感じることがなかったのは、観客席と、すぐ目の前にあるはずの舞台との間に、大きなへだたりがあったから。

     演出家は、目に見えるかたちの才気をみせようと、必死になっている様子。群雄割拠の演劇の世は大変なんだろうなと、僕などは同情してしまうけど、それだけに、演劇の世界の外の、観客席が、みえていない、と思ったのだった。

     シェイクスピアのメタシアターは、とても大きな発想で、全ての人は、王様も庶民も「役割」を演じているにすぎなくて、役を離れた後に残るものはなにもないよ、というものだと僕は思っているんだけど、今回の作品では、最後に、ハムレットの悲劇を止められなかった男の子が、劇団の門をたたく。あれ? と思う。現実の人間が、演劇の世界に入るという構図は、反対なのではないか。演劇の中にどっぷり浸かった、作る側の世界が、人間世界よりも大きくなってしまっているみたい。演劇の外の世界に暮らす僕などは、勝手にやんなさい、と思ってしまった。

     シェイクスピアの劇は、演劇を使って、現実の世界を変えているみたいにみえるかもしれない。でも、実は、ハムレットもボトムたちも、リアもマクベスも。自分が、単なる役者を演じていたにすぎないことを知って、無を背負い、現実世界に出て行く。決して、演劇世界にとどまることは、しておらず、演劇世界と現実世界の区別がなくなる、だからこそ、外側にも響くのだと、僕は思う。

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    2009/09/26 00:07

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