ハッピーエンドクラッシャー 公演情報 ゴジゲン「ハッピーエンドクラッシャー」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    哀しい馴れ合い=友だち
    単に笑わせるのではなく、人の哀しさみたいなものを、笑いの中に見せてくれる劇団になっているのかもしれない。
    さらに「笑い」は、中心ではなく、芝居の一要素になっていくのかもしれないとも。

    各キャラクターのバランスもとてもいい。

    ネタバレBOX

    タイトル見て、「ついに開き直ったか」と思った。前回もラストでは、それまでの雰囲気を壊してしまうような壮絶なものを持ってきたりしていたので。
    でも、そうではなかった。
    今回は、タイトルに偽りありの、ハッピーエンドだったかもしれない。

    友だちの1人自殺して、その命日に呼ばれたかつての友だちたち、ということから、浮かび上がるのは、彼らにとっての友だちのあり方だった。

    友だちだから、そいつが見てほしくないこと、知ってほしくないことは見ないフリ、友だちだから、そいつが傷つくのでホンネは言わない、友だちだから、とにかくかばい合う・・・そんな「友だちを失ってしまうことに対する恐怖心」のみで、彼らは緩やかにつながっている。

    また、今回も「童貞」&「恋愛」がキーワード的に登場するのだが、それらと「友だち」の根底にあるものは一緒だろう。
    人と接することの不器用さ、言ってしまえば恐怖心があり、逆に言えば、とにかく傷つきやすいということもある。
    頼まれると断ることのできない女も同じ。

    友だちの1人が、自分たちのことで自殺してしまったと思っているので、それはなおさら増幅する。
    だって、失いたくなかった友だちの1人を本当に失ってしまったのだから。
    取り戻せない現実、謝ってすむことではない。どうしたらいいかがまったくわからない。
    それは、自殺した友だちの兄も同じ。今も元気にしている弟の友だちにどう接すればいいのか、何をどこにぶつければいいのかがわからない。ホンネは心の中に渦巻いていても、その出口が見えない。

    互いにそんなフラストレーションとストレスフルな状況の中で、自分の心の中を探るように、どうでもいい漫才のことや恋愛のことを能天気に話す。

    必要以上に能天気になるのは、黙っていると深刻なところに陥ってしまいそうだからだ。人が死んでいるのだから、やっぱり怖い。死んだ友だちの家族もそこにいるのだから、たまらない。
    できれば、その話題には直接触れたくないし、この場から去りたい。去りたい気持ちと、何も言わずに去ってしまってはいけないという気持ちもあり、両者が彼らの中でせめぎ合う。
    その微妙な感じが、ハイテンションなドタバタ行為につながってくる。

    ラストに少しだけホンネを言って(この展開はベタだけど、ホンネを言えない兄も含め、お互いの心情をうまく表していてうまい!)、多少はすっきりしたのだろうが、たぶんまた次の日が来れば、今までと同じように「友だち」をかばい合って、お互いの傷をなめ合うどころか、傷には目も向けず、だけど、友だちは大切にしたいし、友だちは好きだ、という不器用さで生きていくのだろう。

    これは、劇団の一貫したテーマではないかと思ってしまう。

    ただ、一点気になったのは、自殺した兄の台詞だ。
    『歩いても、歩いても』という映画の中で、見ず知らずの子どもを助けたことで命を落としてしまった息子の母親が、毎年毎年命日に訪れる、そのときに助かった子どもに言う「また来年も来てくださいね」がある。家族が「もうかんべんしてあげたら」と言っているのにもかかわらずにそう言うのだ。そのときの母親役の樹木希林の演技はとにかく恐ろしいものがあった。
    それをこの舞台を見ながら思い出していたので、まさかそんな台詞はないだろうな、と思っていたら、あった。自殺した友だちの兄が、自殺の原因をつくったのではないかと思っている、命日に集まった人たちに言うのだ。
    残念ながら、樹木希林の迫力にはまったくかなわなかった。映画観てるだろうに。

    どうでもいいことだが、役者は、文字通り頭が相当痛かったのではないだろうか。毎日続けると大変そう。

    0

    2009/09/16 02:40

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大