実演鑑賞
満足度★★★★
戸坂潤と言う名はうんと若い頃、古本屋に如何にも昔の学生が手にしていただろうような、茶けた紙に1サイズ小さめの字がびっしりタイプの分厚い文庫本が置かれていた朧ろな記憶がある(唯物論研究序説だとか何とかいう物々しい題ではなかったか..)。
それにしても芝居の題材にし、主人公に据えるには随分マニアックで、評伝劇なら仲介者として現代から(またはせめて戦後のある時点から)当時を射程し、そこを入り口に時代を遡って行くのが常套である所、本作は「現在」を介在させず、戸坂の研究会のかつての同志を語り手に据えているとは言え、劇はほぼ当時を時系列に辿って行く。作者はこれが最も相応しいと判断したのだろう。戸坂の思想や哲学を(恐らく)原文に逐語的に本人に語らせ、解説に走らないのもその方針の延長に思われる。(ただし彼らに貼りついた特高刑事(3人いる)の質問に用語解説はする。)
が、言葉は晦渋でも、何が問題とされているかは戦時体制(思想弾圧や監視)という状況の中に鮮明になる。
唯物論という言葉は、日本史に引き付ければ、物理的事情を無視した戦略で国民を翻弄し、甚大な被害を与えた軍部の殆ど計画性の無い決定は「神」の御名の下に為された、という視点が多分に滲んでいる。勿論軍部の原則の無さが露呈するのは戦後の事だが、渦中にあって社会と体制の矛盾を見通す視点があった事、その視点を固持し説いた抵抗者が存在した事は現代に示唆を与える事実だ。
史実を比較的忠実に反映させる古川氏の筆は、いつも思う事だが何故か「それでも見せてしまう」。息を詰めて集中する時間と、大いに呼吸をして情景を味わう時間が適切に配されているようである。
もう一点本作の「見せてしまう」要素として、戸坂や既婚の研究会メンバーの女性関係の描写がある。大杉栄を前妻から奪った野枝らにも言及され、生活のためにでなく主義、思想で結びつく関係、自由恋愛の文脈に据えようとしていたが、劇中それなりの時間を割いたわりにいまいちフィットしていなかった。「科学的精神」をもって現実と厳しく対峙する戸坂潤の人物像(役者の造形も)は、ユートピアを謳うアナーキズムやある種の共産主義のそれとは異なり、文字通り「科学」に立つ態度、リビドーの発動と一線を画する事にむしろ自覚的である態度を想像する。戸坂氏のは単純に、一度後妻に迎えたい意思表示をした相手との焼け木杭のようなもので、本筋に噛んで来るレベルのエピソードかな..というのは素朴な感想。
それはともかく、、現在、日本学術会議の非承認問題に象徴される自民長期政権の学問の軽視と、非科学的態度(というか頭の悪さ)はマスコミの事後承認により(それを批判しない大多数の市民により)放任状態となっており、来たる参院選での野党惨敗後の3年間、「科学的精神」の敗北を逐一見続ける羽目になる事は覚悟せねばならんだろう。これからの課題は科学的精神そのものではなく、戸坂ら唯物論研究所が敗勢の中で後世ためにどう闘い、どう闘いを閉じたかに何を学べるか、既にそういう段階にある事を憂える昨今、本作は「歴史は繰り返す」を思い知らせる作品になった。