マチクイの詩 公演情報 F's Company「マチクイの詩」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    原爆投下とかける
    たぶん、カサガイで起きた爆発事故は脚本家の思うところの原子爆弾なのだと思う。
    そして爆発事故で蔓延したマチクイ病は原子爆弾投下での後遺症を指しているのだと感じる。
    だから・・・この物語は私たち本土に対するメッセージなのかもしれない。


    以下はネタばれBOXにて。。


    ネタバレBOX


    本音で言えば原爆投下の街・長崎で息づく人たちと、殆ど被害を被らなかった人たちではこの芝居を観る角度が違う。その感情はどうしても外枠に住む人たちの傲慢さかも知れないが、大抵ニンゲンとはそんなもんだ。

    脚本家の福田の言葉によると、長崎市では毎年8月9日の11時2分には鐘やサイレンが鳴り、黙祷をします。長崎に居た頃はそれは当たり前となっている風景が東京にはなかったことが僕としては驚きだった。とあったが、「マチクイの詩」のなかで誰かが木になったことを告げる詩が悲しく響いたり、登場人物が歌う歌は、きっと、長崎の鐘でありサイレンなのかもしれない。

    さて、物語はマチクイ病になってしまった父の世話をしながらもやがて自分もマチクイ病にかかってしまうという加藤マトヤと彼のの周りでマチクイ病と戦う人たちの風景を描いたものだ。マチクイ病の解明にやっきになるサワタリ教授、かつて爆発事故を起こした財団の関係者も絡ませながら、少しずつ樹木に近づいていってしまう妊婦など、聞いただけでもおどろおどろしい内容なのだが、演出の仕方なのか、殆ど樹木になってしまった父がひょうきんなおしゃべりなんかしちゃうもんだから、それ程の壮絶さはない。

    むしろ、生活の為に偽証して行政からマチクイ病の認定を受けたアラカネの心境や、中途半端に樹木と化したニンゲンを人間扱いしない教授の心理状態のほうに人間の底の部分を観る。

    樹木にならない前の父が樹木になってしまった母を切って椅子やテーブルを作った原因を知ると息子・マトヤと妻に対する愛情を感じた感動のシーンはあるものの、全体的に、この物語には震えるような感動を覚えなかったのも事実だ。
    たぶんそれは無駄なセリフや無駄な笑いが多いせいだと思う。しゃべる木の苦悩も描いていたら違っていたかも知れない。



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    2009/08/09 11:04

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