実演鑑賞
満足度★★★★★
正面に横に拡がる窓には、二段の格子のすりガラスが入っていて。窓外の枯れ木、枯葉のシルエットが濃く映っている。室内は、机といす、無機的な事務室、マゼンタ系の照明は窓外より暗い。ここは欧州のどこかの独裁国家の警察の取調室である。
官僚的(瑞木権太郎)、と暴力的(石住昭彦)な二人の捜査員に調べられているのは、短篇小説を書いている自称作家(渡辺穣)である。作品中に書かれた幼児殺人と同じ状況での犯罪容疑者として調べられている。
作家の父母は亡くなり、障碍者の兄(玉置裕也)は共犯として捕えられ別室で拷問されている。この暗い取り調べ室で、取調官の拷問まがいの取り調べが続き、その中で、作家が書いてきた未発表作品のほとんどが児童虐待と、それがさらに不幸な結末に至る物語であること、兄がそれをヒントに殺人を犯してきたと疑われていることが分かる。さらに観客には、幼時兄が両親から虐待を受けていたこと、成年に達しようとしたとき作家は父母のその行為に耐えられなくなり両親を枕で殺し、ひそかに埋めてきたこと、が語られる。
一幕、1時間45分、救いのない残酷な童話、家庭内暴力、殺人事件をめぐる取り調べの拷問が、次第に不気味さを増す取調室の中で進行する。観客の残虐嗜好度を試されているような暗く重い舞台だが、不思議に飽きない。二幕になると、そのそれはさらに増幅して、キリストを信じる少女(古賀ありさ)に振るわれる虐待行為を通して神と対決することになる。
英国の劇作家マクドナーの代表作で、すでに何度か上演されているがこの作品は初めて見た。すさまじいドラマである。
二幕目の終わり、少女の運命が明らかになるクライマックス。陰鬱な取調室のセットが奥に押しやられると、すべてが浄化されるようなエピローグになる。
押しやられたセットは変わらず、現実の警官二人も変わることなく日々は続くのだが、作家の誰にも読まれることのなかった原稿だけは人知れず世に残る。
それが、混濁した世界で背徳とともに生きていく人間たちを、深いところで救っていく。それは安易な常識的、あるいは教条的エンディングではない演劇のみがなしうる物語のエピローグである。世紀の代表作と言われるのも肯ける。この作家と長年取り組んできた劇団もその甲斐はあった。俳優では渡辺襄が全力投球。主役の任を果たした。
演出の寺十吾はかつて、役者として主役を演じたことがあるというだけあって、作品の世界が強い。この演出家の随一の舞台だろう。美術(乗峯雅寛)も見事だが既成曲で構成されている音響も素晴らしい。