実験シリーズその1『境界』  【緊急決定!追加公演!!】←これが最後のチャンスです。  公演情報 劇団夢現舎「実験シリーズその1『境界』 【緊急決定!追加公演!!】←これが最後のチャンスです。 」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    実験は、密かに続いていた
    この公演の追加が決まったということで、15人しか観ることができないから、それはそうだろうなあ、と思っていたら、どうやら「単に公演を追加するということではない」らしいということを匂わせるメールが劇団から届いた。
    「変容」というキーワードが漂う。

    となれば気になるではないか、何がどう「変容」したのかが。

    前回、レポート(平たく言えば「感想」ですね)を提出した段階で、今回の実験に関するお付き合いは一段落したと思っていたのだが、私や他の観客が書いたレポートや反応を参考にしつつ、実験は秘密裏に続けられていたのだ。

    そして「変容」の確認をしに実験の行われている新高円寺へ向かった。

    ネタバレBOX

    この公演は、「境界」ということに関する「実験」という体で、行われている。

    内容は、前回の「観てきた」に書いたとおりであり、「演劇」の「境界」が「こちら側」に染み出てくる感じが愉快だったのだ。
    そこは、「楽しむ」というか、それに「付き合う」という精神が必要なのは言うまでもない。
    だって、染み出して来るのを「観客然」として腕組みして眺めているだけではもったいないのだから。いわば「染み出し感」を味わう公演なのだ。

    前回感じたのは、「観客」と「舞台」の「境界がなくなる部分」が一番面白く、観客は、飲み食い、携帯等なんでもアリの空間で、それを期待して、あるいは覚悟して訪れているのだから、それを活かさないテはないということだ。
    それがもう一歩、舞台側が踏み出せずにいるということにもどかしさを感じていた。

    さて、前置きがずいぶん長くなってしまったが(そうです、すみません、長いですがここまでが前置きです)、今回も、この「企み」に賛同して、手形のような木製チケットに麻ひも(これは絶対麻ひもが相応しいと思う)を通して首からぶら下げて会場を訪れた。

    まあ、地下に降りる階段にも、有り体に言ってしまえば、無意味な(笑)張り紙などがしてあり、実に楽しい空気を醸し出している。

    内容的には、前回観たものと一緒である。であるのだが、違っている。確かに「変容」しているのだ。

    前回不満に感じていた「観客と舞台の境界がなくなる部分」は随所に意識的に盛り込まれており、観客の移動も促してくれる。本当に目の前で演技が始まるのだ。
    しかし、それは「境界がなくなる」のではなく、よくよく考えると「境界を意識」させることが主眼にあるのだ。
    とうやらそれを見誤っていた。他のエピソードと同様に「境界」を実験するということで、「境界を意識」させることが大切なのだ。
    つまり、今回のいろいろな役者側からの働きかけで「境界は十分に意識」されることになった。

    ただし、それが今回の「変容」の全貌ではなかったのだ。いわばこれは「掴み」のような部分であり、本当の「変容」は、「2回目の観客」にしか与えられない、贅沢な「変容」なのだ。

    それは、単にいくつかあるパートの内容を入れ替えたり、台詞を大幅に変えたりということではない。
    微妙に台詞が少し変わっていたり、演じ方とか、表情とか立ち位置とか、ほんの少しずつ変化しているのだ。
    それで何が変わったのかと言えば、それぞれのエピソードの、輪郭というか、コアになるところ、あるいは主張(言葉にするとちょっと大げさだけど、そんなようなもの)が、くっきりしてきているのだ。

    例えば、前回、私が「ガッカリした」と書いた最初の実験(エピソード)の「鏡」が始まり、「あっ」と思ったのだ。「違うモノになっている」と。
    基本構造も台詞も大きな変更はないはずなのに、明らかに違っているのだ。
    同じような感覚は、それ以降随所に現れ、驚かせてくれた。

    確かに、演劇は、ちょっとしたニュアンスで、例えば、台詞の言い回しだったり、視線だったりというもので、その表現が大きく変わるということは、頭では理解していたつもりだったのだが、それが目の前に具体的な形となっていることに驚いた。
    もちろん、舞台の稽古は、そういうものの積み重ねなのだろうが、私が観たのは本番2つなのだから、当然、その重さが違う。

    前回の公演が終了してから、今回の「追加公演」までの間に、どれぐらいの細かい作業が繰り返されていたのだろうかと思うと、やはり「(生)真面目な」劇団なんだな、と思わざるを得ない。

    限定15名で、飲み物、お菓子、おつまみまで用意して、チケットも木製の手作りで、さらに感想を送るための切手付き返信封筒まで用意して、チラシも作って、どう考えても元が取れるとは思えない公演を打ち、さらに観客の反応をフィードバックさせてもう一度上演するという姿勢には言葉もない。

    真摯さ、(生)真面目さと書いてきたが、もちろん修道僧のような禁欲からこれらが生まれているのではないだろう。たぶんその真摯さの中には、演じることの(見せることの)「快楽」もあるのだろう。
    それがあるからこそ、観る側にも「快楽」が訪れるのだ。

    そして、「変容する演劇の姿」の中に、演劇っていうモノの「奥深さ」・・・というと、つまらない言葉になってしまうけど・・・うーん、うまく言えないけど「不思議さ」みたいなものを見付けることができた。

    2回同じ公演を観たことによる、これが最大の収穫であり、「実験」が「実験」たる所以の結論のような気がしてならない。2回観てよかった、ということだ。

    失礼は言い方をあえてすれば、実際、舞台で行われていたコトよりも、この舞台(実験とも言う)全体が包括する世界(あるいは世界観)のほうが遙かに興味深く、面白いものであった。

    で、一番気になるのは、今回の「追加公演」は最初から仕組まれていたものなのか、あるいは後から「これはもう一回やるべきだろ」と思って始めたのか、ということであり、また、後者ならば、どうしてそう思ったのかが知りたいところだ。

    ちなみに今回はオレンジジュースを飲んだ。ピサは食べ忘れてしまった。

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    2009/06/28 04:11

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  • tetorapackさん

    コメントありがとうございます。
    tetorapackさんのほうも読ませていただきます。

    ・・・こちらで合ってますよね? 2回目のほう。

    2009/06/29 02:40

    いや、いや、アキラさんの「こだわり感」のあるコメント、興味深く読ませてもらいました。
    私の2回目観劇はといえば、マイナーチェンジしていたのは公演よりも、むしろ私の方だった、という感じでした。よかったら、私のコメントもご笑読ください。私は、自分の感性に合ったというか、この「境界」がぐんと好きになってしまいました。

    追伸:私のは、この欄でなく、追加公演用として、もう一つ別にある「境界」のコーナーの方に書き込みました。このコーナーは、どうやら1回目用っぽいです。

    2009/06/28 11:22

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