三年王国 公演情報 人格社「三年王国」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    荒削りだが、そこは若さの魅力であり、伸び代だろう。冒頭の緩い会話が、物語の底流を成していようとは…。上手い展開だ。

    高校生活の甘酸っぱさを感じるが、描いている内容は深い。それは「自分という存在の確認、後悔のない生き方の模索」といったところ。物語(脚本)は、色々な場面を点描するが、それらを収斂していく怒濤の終盤が凄い!演出は何となく つかこうへい の「熱海殺人事件」の冒頭を思わせる圧倒するような大声+音楽(「白鳥の湖」ではないが)。

    説明で興味を惹く「アレ」は、高校での部活動に起因している。自分にはピンとこないが、人にはそれぞれ大切にしているもの、気になるものがあろう。公演でも「アレ」は最後にやっと明かすが、途中で主人公・小田川の大切にしているものを「アレ」と勘違いさせる、そんな誘い方も巧い。
    ただ演技は「演じている」といった力みが観えたので、もう少し自然体であれば…勿体ない。
    (上演時間1時間10分)

    ネタバレBOX

    舞台美術は、低い平台をいくつも合わせ、学校(部室)内の板張りをイメージさせる。中央にテーブルと椅子、その後ろにスクリーンがある。状況に応じてテーブルを搬出し、換わりに授業机を搬入する等、状況に応じて光景を変える。

    地方の進学高・新聞部が舞台。冒頭、部室で部員(2年)の小田川と写真部の間宮(2年)が自己紹介に関する無駄話。新聞部は旗田が卒業し今では薮(3年)と二人だけ。そこに新入生の権田原が入部し、物語は動き出す。中学まではそこそこ頭が良かったが、進学校では目立つこともない。自己紹介では、自分自身を表現出来ない。制服を着て腕章をしていれば高校新聞部と外見から分かるが、具象的なものがなければ自分をどう表すか?表向きには緩い部活動は楽、一生懸命に活動する必要なし。

    何故 廃部寸前の新聞部へ入部したのか、真の目的は自分の存在アピールのため。順繰りに行けば、薮先輩が引退すれば私・小田川が新(第73代)部長になれる。新聞部以外は、傍観というか諦念にも似た虚無に近い高校生活。だから小さな世界でもお山の大将になりたい。しかし権田原は強かな新入生で、新部長へ立候補し…。
    小田川が尊敬する旗田も同じような自己主張の気持だったことが分かる。2人して花火をする際、魂を燃やす=ポジティブではなく、焼失=ネガティブという意らしく、怠惰、諦念、無常といった高校生活が浮かび上がる。笑うに笑えないリアルさが垣間見える。

    小田川が大切にしている物ーー黒板拭きクリーナー。人に知られず憤まんを大声で発散する時に大音を重ねる。大切に持ち歩くところから「アレ」と思わせるが、実は違う。

    高校(生活)はシンフォニー、色々な生徒がいる。それを第九交響曲の合唱団に準えるが、自分は指揮者になりたい。そこに自我・自存を見ることができるが、その期間は3年間だけ。まさにタイトル「三年王国」(3年生のことではない、と思う)である。スクリーンに合唱団映像を映し曲を流す演出は、臨場感があり上手い。
    終盤、各人が思い思いに絶叫する場面は、つかこうへいイメージ。さて、気になる「アレ」が分かるが、それは新聞部らしいものとだけ…。
    次回公演も楽しみにしております。

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    2022/03/05 16:32

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