TEA FOR TWO 二人でお茶を 公演情報 はこてく「TEA FOR TWO 二人でお茶を」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    少し笑って軽くするような生と性の物語。
    啓発・啓蒙劇or商業演劇なのか、または両方を狙ったか? 脚本、演技は素晴らしいが、演出は細工(解説)のしすぎではないか。
    「LGBTQ」という性少数者、そのうちゲイ(男性同性愛者」の1980年から2005年までの25年間を5年毎に6場で描いた会話劇。何となく、バーナード・スレイド「セイム・タイム、ネクスト・イヤー」を連想する。こちらは男女の不倫、アメリカ・カリフォルニアのコテージの一室、時期は1950年代初頭からの四半世紀。

    公演は、セクシャルマイノリティをテーマにしているが、単にその関係性だけを描いておらず、場面(時代)に応じて、2人のうちのどちらかに焦点を当て、心境の変化等を表現している。それぞれの心境変化を交錯または衝突させゲイの性癖を浮き彫りにする。時に嫉妬や誤解等、同性愛に限らず「人間」の心理、観察といった物語にもなっている。公演は、何らかの啓発的な意図を持っている。舞台美術の後ろにスクリーンがあり、そこに2人の心境なり心情変化を説明する字幕が映されるが、それを読み終えるであろう(少し長い)時間映し続ける。演劇を通して観客に想像させる、そんな観せ方ではなく極めて直截的だ。冒頭、物語の背景も説明しており、観客の楽しみを殺ぐような演出。もっと演劇的に昇華させる演出でも良かったのではないか。

    物語としては興味深い。1980年11月の出会いから2005年11月、今までの、そして これからの新たな歩みへの25年間を北海道札幌市にある古びたビジネスホテルの一室で展開する。同じ部屋(302号室)だから基本的には間取りは変わらず、当初から置かれていたプッシュホン電話の使用頻度が減り、ポケベル、携帯電話へ代わるという時代の変遷。年に一度のデートを続けるゲイカップルの亮平と健人。

    上演前に公演「テーマ」が映し出され「LGBTQ・不倫に関する問題意識も台本の中に含まれるが、主テーマは違う。扱う主テーマは、「健人と亮平の『好き』の変化を探しながら、あれこれ一緒に考えてみようという試み」という。先にも記したが、演劇的な想像する面白さ、それが恣意的に誘導されるような演出に違和感を覚える。演出は余計な説明なしに、もしくは最小限な情報に止め観客の想像力に委ねてもよかった、と思うだけに勿体ない。
    (上演時間2時間 途中休憩15分)

    ネタバレBOX

    舞台美術は、正面にベット、脇に机。その上にはプッシュホン電話と茶セット。上部にスクリーンがあり、場面(年月・場所)の説明が映される。冒頭には「1980年11月から2005年11月の25年間、年1度のデートを続けるゲイカップルの変化を5年ごとに追った会話劇」を描くことの説明が映され、6場ごとの2人の名前・年齢も映す。

    梗概…25年間のデトックス。
    第1場。1980年11月、酔いつぶれた亮平(25歳)を介抱してそのまま関係を持ってしまった健人(20歳)。記憶の断片を辿りながら昨夜のことを語る2人。見ず知らずの2人の馴れ初めと、バックボーンを紹介していく。亮平は東京に住んでいるが、予備校(数学)講師をしており受験対策のためこの時期 出張してきている。大学時代に知り合った妻と1歳になる息子がいる。一方、健人は大学を退学したばかり。在学時代は男らしさを強調するため応援団に入部していたが、それは本意ではない。
    第2場。1985年11月、息子が小学生になり勉強を教えるために、会ったばかりの健人を残し東京へ帰ろうとする。
    第3場。1991年11月、健人がゲイであることを母にカミングアウトするため、亮平に同席してほしいと頼む。すったもんだの末、電話で告白してしまう。
    第4場。1995年11月、亮平が気分が悪く寝ているところへ、女装(赤いドレス、赤いハイヒール、そして金髪鬘)した健人が入室。パーティーへ出席するための格好だが、実はゲイ恋人がエイズになり、亮平にその種の検査を勧める。
    第5場。2000年11月、健人はゲイ派遣事業が順調、一方 亮平は離婚し職も失った。亮平は健人に結婚指輪を渡そうとするが…。
    第6場。2005年11月、2人の軌跡を今後のことを話す。

    主催の一般社団法人 箱の中の箱は、演劇を知的に楽しむことを目指しながら、その中で生じる小さな声を拾い集め、考え、学び、次世代の新しい「人との関わり方」を手探りしたいとしている。その知的に楽しむが、主催者側の考えというか発信へ誘導するかのような演出に思えた。なにしろ心理描写や変化まで字幕で説明してしまう。
    脚本に書かれた内容は興味深く、25年間という長い時間軸の中で時代感覚や移ろい、人の心の変化等、観るべき そして感じるところが多かった。演技も亮平役の高野アツシオさんの紳士然とした容姿とは違うだらしなさのような性格。一方、健人役の田口巧輝さんは、ゲイであることへの恥ずかしさ、その初心(ウブ)さが愛らしく、亮平への献身さがよく表れていた。
    照明はそれほど印象にないが、音楽はピアノのポップな旋律がマッチしていた(幕間の繋ぎ音も良い)。
    次回公演も楽しみにしております。

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    2022/02/19 00:03

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