実演鑑賞
満足度★★★★★
改築になるコクーン最後のコクーン歌舞伎。掉尾を飾るすばらしい舞台だった。
数え上げればきりがないほどいい。初演は12年、再演らしく跳ねるところははね、抑えるところは抑えて緩急自在、現代歌舞伎の代表作になった。
まず宮藤官九郎の脚本。百五十年ぶりの黙阿弥再演と言うが、中身は黙阿弥歌舞伎によくある趣向盛り沢山の大歌舞伎でも時に見る御落胤悪党ものである。そこを宮藤官九郎が現代観客向きに、あれよあれよというテンポのいい道中物にアレンジしている。御簾内は上手下手に置いたそれぞれに金管二本(ほかに下手にリズム二名、上手はギター二名)入りのジャズ風バンド(音楽Dr,kyOn、平田直樹)これがよく似合う。二十分の休憩を入れて3時間10分、全く飽きない。
演出は串田和美。コクーン歌舞伎を先代勘三郎と組んで始めた功労者である。串田ももう八十歳、初期の青臭さはなくなって老練であるが古びていない。いつまでも気分は青春だ。ここの歌舞伎がよくやるように小屋掛け芝居の外枠を作っていて、それがこのチープな詐話にぴったりだ。
役者もいい。座頭の勘九郎はもとより(いやと言うほど先代に似てきたなぁ。歌舞伎と言うのは怖いものだ)お六の七之介ももはや見事な大看板ぶり、地雷太郎の獅童もニンにあっている。脇の鶴松の高窓大夫、萬次郎の猫間、など歌舞伎役者に交じった笹野高史のお三婆ア、初出演(でもないと思うが)の小松和重の現代劇俳優がいい色合いで入っている。抑えに扇雀。いう事のない座組である。皆精彩があって少しづつ全体を押し上げ、舞台が活気を帯びている。最後の長い殺陣。古典歌舞伎の殺陣の様式を踏まえていて、それがジャズ伴奏に嵌まる現代の殺陣で山場になっている。コロナ禍で掛け声がないのが歌舞伎公演としては唯一の失点か。ここは仕込んででも掛け声がないと緞帳が降りない。
コクーン歌舞伎全作に言えることだが、どの作品も古典を踏まえている。そこが赤坂歌舞伎、六本木歌舞伎や新感線とちがって、高く評価したいところだ。歌舞伎はファッションではない、単なる様式でもない。日本の文化の中で、数少ない世界のレベルで誇れる演劇文化なのだ。