実演鑑賞
OL編→武士編の順で観劇。OL編は確か過去2バージョン、家老役が確か天明女史、森内女史のを観た。コメントする程の事もないオヤジギャグ的作品だが、今回OL編を観た感触が良く、平田作の駄弁芝居の楽しみ方を習得したという事か?と省みるに、どうやら女性の家老の頼もしさを滲み出すところに照準化するテキストだと気付いた(天明、森内の時も家老が芝居を締めていた)。
前観た時は武士編に比べておちゃらけな印象だったのが、今回は炭火のような確かな温かさを感じ「意外といいじゃん」と再発見。(舞台成果の違いではなく、見方の変化かと思う。)
一方、武士編はいま一つ迫って来なかった(元々いまいちピンと来ない演目だが..)。OL編が思いの外良かったので期待値が上ったのだろう。
武士編は今回で3回目だったか。テキストはOL編と大枠同じ。役者が弾けてナンボの演目でもあり、それぞれ弾けてはいるのだが、白っと見てしまった自分がいた。
以前は男性が演じる手堅さが利点に思えたのに、何が違ったのか・・。女優の「性」に備わるマイノリティ性・被害者性、それを超えて前進する力強さ、といった属性(ステロタイプではあるが)が、テキストの隙間を埋め、テンションを支えていると感じた。
一方武士編の男バージョンで感じたのは役者の細さ、というと申し訳ないが、前に出演した島田曜蔵氏レベルの破壊力ある存在あって釣り合う(人物の色分けがくっきりする)戯曲なのかも。配役では一人、西風生子を入れて破壊力を注入しようとしたようだが、役者全体として「役柄を全うした」感に至らず、そうなるとこのパロディ上演の意味は厳しくなる。
OL編と違い、陣幕が張られ出で立ちも武士であるので、異質同士の境界線は少し異なるが、羽織袴を正当化する要素が希薄になってしまったせいか。所作、姿勢は武士に準ずる等が足りなかったか。
ほんの小さなボタンの掛け違い等でどつぼにハマる事もあるだろうし、そういう回であったのかも。
かように同じ作品を観ることの気づきはそれとして独特な楽しみがあり、自分は今回のような形態をレパートリー・シアターというカテゴリーに当て嵌めているが、欧州諸国での舞台芸術に対する人々のリスペクト、一定の社会的地位は、このレパ・シアターのありようと深く関連するように思っている。欧州(に限らないとも)モデルで想起されるのは「地域単位での文化の成熟」。東京一極集中の異常さを常に感じている自分としては、劇団の地方移転をやった青年団の今後を見守りたいが、不定期にせよ同じ演目を折節に上演して行くレパートリーシアターの試みも、支援会員制度と共に賛同する所。「地域に根付く演劇」という課題が社会の成熟と軌を一にしていると個人的には考えているので、一つの劇団や劇場、演目を「見続ける」観客のあり方の探求には密かに、大いに期待している。