実演鑑賞
満足度★★★★
初・高取英作品。氏が主宰する月蝕歌劇団にまではついに触手が伸びなかったが、2018年没した高取氏の追悼公演という事で「珍し物見たさ」も手伝って足を運んだ。
寺山修司と所縁のある人であり源流のある劇団、という印象であったが、チラシ絵が同じ丸尾末広“系”?でつい混同してしまうA.P.B.tokyoというユニットや青蛾館、また後に知ったが池の下が寺山戯曲を上演するのに対し、こちらは高取作品の上演が主であったようだ。「月蝕歌劇団」とは若き高取氏が初めて寺山氏に提供した戯曲。劇団旗揚げは1986年に遡るがそれに至るまでの数年「演劇団」名義で高取作・流山児祥演出による舞台を数本やっており、今回の作品はその最後にスズナリで上演した作品である由。当時からスズナリは演劇人にとってのステータスで成程流山児氏にとっては記念碑的な作品な訳である。(以上観劇翌日にweb調べ。)
さて舞台。音楽・歌の使いようは演出面で天井桟敷に寄っており(私は万有引力を通して知るのみだが)、廻天百眼などの音楽系アングラの源流に触れる新鮮さがあった。戯曲版「ドグラマグラ」等の著作がある高取氏の本作は、ストーリー的には唐十郎に近い言葉を媒介した話運びもありつつ、内容は猟奇探偵物のエッセンスで染められている。
軍靴の響きが高まる昭和初期、紙芝居に登場する赤マントが帝都に出没し、暗躍しているという・・冒頭2人の少年が一方の父の月光写真館なるものを探して冒険の旅に出るが、やがて闇の世界は現前し、憲兵隊、宗教団、赤マントらを操る男や、極秘研究に打ち込む科学者がけん制し合いながら何かを巡って動いている様相。何やら剣呑な原子(幻視?)再生機の完成が一つのエポックとなるが、果たして・・。
伏線回収の精度は正直低いが、目指している世界観は判りやすく、この路線の開拓者の一人と認識した。