実演鑑賞
満足度★★★★
白井晃はKAATの芸術監督を務めている間にブレヒトの代表作を次々に取り上げた。これは最後の作品で、主役・草彅剛の人気と相まってもっとも当たった。現代的な無機的な抽象性を前面に出して展開する白井の舞台の特色がよく出た作品で、二年ぶりの再演だ。地方を含めほぼ2月に及ぶ長期公演だが、既にチケットはほとんど売れている。見た回も完売。
シカゴのやくざ者のウイが卑劣な手段を尽くし、仲間を裏切り,専制者に成り上がっていくブレヒト劇は、今回は一段とショーアップされている。
舞台上段の松尾諭に率いられたオーサカ・モノレールが演奏する主にジェームスブラウンの扇情的な迫力のあるサウンドで終始舞台は進行する。ウイを演じる草彅剛が踊り、歌など全身の表現で舞台を支配する。赤と黒でまとめた尖った舞台美術と衣装で有無を言わせない力量感が舞台から押し寄せてくる。
確かに、ブレヒトの舞台らしく、エピソードは字幕をつないで見せていくが、舞台から与えられるのは圧倒的なショーの力で、しかも、完成度も高い。80分づつの二幕に休憩が20分。見る方もくたびれるが、実によく出来ているのだ。キャスト、スタッフ、いう事なしの出来なのだが、それに反して、一観客としては、これは意外にもブレヒトの意図とはかなり遠い所へ来てしまったという印象はぬぐえない。パンフレットを読むと、白井はこれは現在の日本の政治状況に対する問題提起だと言っているから、ブレヒトの意図を曲げているとは思はないが、現実にはどうだろうか。
草彅剛のようなタレントイメージの固定している俳優を使う危険性は、そこに潜んでいるように思う。彼の熱演はおおいに評価できるし、いわゆる「いい人」イメージの俳優を使うというのはなかなかいいキャスティングとは思うが、時にウイが舞台から観客に同調を求めると、多くの観客は草薙に乗ってしまう。ブレヒトのいうように舞台を客観的、批評的に見るなどという事は観客には難しくなってしまう。俳優の生の力が80年前に書かれた戯曲を踏み越えてしまうのだ。それも、演劇の役割を果たすことになると、白井は言うが、それは危うい、と戦前生まれの筆者は思うのだ。
これは演劇と政治という問題に繋がっていって、簡単に言えないが、演劇の批評性、などという事は、戦後の時期にしきりに俳優座がブレヒトを取り上げていた時代とは環境が大きく変わってしまっていることをまざまざと感じることになった。