実演鑑賞
満足度★★★★
「切ない」ドラマだ。
自分では動かせない大きな社会の流れ、その中で、何とか自分の立ち位置を見つけて生きていこうと健気に日々を送る人びと、その生活の哀歓に浮かぶ第二次大戦末期の九州の地方都市の小さな青春。
何度見ても、掴まれてしまう芝居だ。ことに今回は、新劇・小劇場から選ばれた実力のある俳優がキャスティングされていて、いままでの小劇場とは違う味わいのある舞台になった。いい舞台で、久しぶりの吉祥寺シアターの老若取り混ぜた満席の客席にもドラマはストレートに届いていた。
戯曲は、初期作品だけにストーリーに流されたような若書きのところも見えるが、終戦末期の絶望的な戦局の中で巡り合う青春のひと時が鮮烈に描かれていて、戦後何作か見た優れた戦争青春ものの映画に匹敵する出来である。その後(06年)映画化されたのもうなずける。
松田正隆がこの戯曲を書いたのはもう三十年も前、1992年、それから今までの歳月も感慨深い。考えて見れば、俳優はもちろん、作者も演出者もこの時代を肌で知っているわけではない。だが、三十年の前の初演の時は、まだこの「青春」を同じように生きた人は多く世間に残っていて、同時代風俗劇としての共感も大きかった。たが、今客席に当時を知るひとの姿はほとんどない。それはこのテキストが古典化したという事でもあろう。
古典となれば、時代を超える新たな責任も負うことになるだろう。
今回の舞台は、よくまとまっているし、主役の悦子を演じた平体まひろは十代後半の青春を見事に演じ切り、五人の出演者もそれぞれよく演じている(。しかし彼らの演技も体型もまぎれもなく現代の色を濃くまとっている。そこを超えろというのは過酷な要求であることは知っている)。演出も的確である。舞台装置(ラストの櫻)も音響(遠い潮騒の音)も絞り切って自然を見せ、聞かせているのも効果を上げている。選曲らしい音楽もいい。
しかし、と一言いいたくなるのは、つまらないことだが、客入れの音楽。あそこで流れるのは主にまだ戦局が逼迫しない前の東京の流行歌である。戦局逼迫が知れ渡っていた昭和二十年春に入ってからの雰囲気ではない。前半の二人の士官が訪ねてくるくだりでは若い客はよく笑っているが、あんなに笑わせては誤解されるのではないかと思った。
事実を追うばかりが能ではないが、古典を扱うときにはそれなりの覚悟がいるとも思った。