映像鑑賞
満足度★★★★★
紅一点で登場する菅野寿賀子(号は幽月)がカッコいい。
自由とは、と問われて英語では「リバティ」と彼女は答えて説明する。
リバティって、「自由」はフリーダムじゃないの!そこでググってみた私は衝撃を受ける。
Freedom→最初からあるもの。何の制約もない状態。
liberty→自分で掴み取るもの。不自由な状態から抜け出して得た「自由」
彼女は、自由とは「自分の顔を持ち、自分の名前を持ち、自分の頭で考え、自分の口で語る」ことだという。
昂然と頭をあげ、周囲で脅したり賺したりする検察官、恋人の変節や同志たちの不公正な逮捕やらに動じることなく、自分の信じたことだけを申し立てていく。
忖度と保身で右往左往する官の側の男たちの中で、その彼女の姿勢が静かに輝いて見える。
出世がエサの命令を実行するか(平沼騏一郎)、どうせ誰かがやる仕事としてさっさと片づけるか(武富 済・小原 直)、命じられた以上従わなければ馘首になると恐れて実行するか(潮 恒太郎)、それぞれ忖度の相手は違っても、こうして不当な判決がでっち上げられていった。
権力側(横田国臣・鶴 丈一郎・末弘厳石)は、イザという時にトカゲの尻尾切りで現場の人間に責任取らせるように周到に準備までしている。
それなりに地位も権力もある男たちが寄ってたかって無実の人間を絞首刑にしてしまう。このような明治時代の国家権力は終戦で消滅したのだろうか。
まるで喉に詰まっていたものをぬるりと飲み込むような感じを観ている側の私は味わった。
・・・どこかで聞いたことのある、お馴染みの報道やニュース。
それを一方的に責めることは私にはできない。私の中にも忖度や不正に目をつぶろうとする芽が・・確かにあるからだ。
生きるということは、何かに絡めとられることだと、気づく。
幽月さん、戦後生まれの私でさえ、まだ自分の頭で考え、自分の言葉を持つことは難しい。
忖度する自分を跳ね返す力はどこにあるのだろうか。