実演鑑賞
満足度★★★★
大逆事件からはすでの百年以上たっている。日本が近代国家としてようやく成立したばかりのころに起きた事件が、今なお、観客の心をうつのは事件がこの国の構造に深く根付いているからだ。その構造の上部構造にも下部構造にも触れた優れた社会劇である。
この国土に生きる観客は、現代の愚昧な政府の権力志向とちっとも変っていないなぁ、という悲しい詠嘆を超えて、心を打たれ、考えさせられる。
二十世紀初頭の社会主義思想の平民への衝撃は、近代国家ではそれぞれに受け止められていて、アメリカでは「赤狩り」が、ヨーロッパでは「ロシア革命」がしばしば芝居の素材になる。日本でも戦後大逆事件が解禁になってからは、いくつもの作品があるが、今回の作品はそれらとかなり趣を異にしている。世俗的な事件の経緯に沿ってはいるが、近代国家で生きるという事を、集団を率いる権力と、個人の生きる自由の対立に絞っている。そこがいい。
舞台は、東京地裁の予審判事、田原(西尾友樹)と潮(佐藤弘幸)が大逆事件を裁く大審院の予審判事として呼び出されるところから始まる。山縣有朋(谷仲恵輔)によって仕組まれ検察によって実行された政府転覆の事件への嫌疑で当時生まれたばかりの平民社関連の人びとがとらえられ、当時の法律でもせいぜい数年の禁固刑が最高の被疑者たちが死刑台に送られる。爆裂弾とか判決後の天皇による恩赦とか、劇場性もしっかり組み込まれたこの専制国家確立のためのドラマの一翼を担ぐことになる。ドラマは国民平等の近代法と、専制国家の政治の論理のはざまで、職として判事の務めを果たそうとする予審判事に対し、被告として唯一登場する菅野須賀子(堀奈津美)は毅然として人間の生きる自由を主張する。
2時間20分余り、休憩なしの舞台の前半は、国家が仕組んだ国家権力のドラマに巻き込まれていく平民の予審判事の苦悩が描かれ、後半は人間は自由に生きるという原点から全くブレない菅野須賀子との取り調べになる。これらの事件の素材や対立軸は現代の観客にも通じるようによく吟味されていて、全く飽きない(よくある時代物のように、メロドラマに媚びていない、ここもいい)。
ことに、菅野須賀子を演じる堀奈津美が自分の信念を鼻っ柱の強さで表現していて、今までに見たさまざまの菅野須賀子のなかでは異色の面白い出来であった。
今年のチョコレートケーキはコロナ禍でも大活躍で、今年の春の「帰還不能点」に続く日本の権力構造についての優れた舞台であった。権力をその中から見るというのは新しい視点で、そこに新しい日本観もあって、大いに評価できるが、観客としては、かつて「80’エレジー」のような、市民のなかに巣くっている権力ドラマもぜひ見てみたいと思う。
このコロナ禍でも、特に動員したとは見えない老若さまざまに入り乱れた観客でトラムは9分の入り。これからもっと混んでくるかもしれないが、芝居を見たという充足感のある舞台である。