映像鑑賞
満足度★★★★
二度目の投稿。全配信回アーカイブ視聴のチケット購入し、みっちりとは行かないが全回見比べた。
期限が迫ったので未見の千秋楽を「一応見てみるか」と再生したが、千秋楽で突如芝居は「化けて」いた。スイッチ映像のチョイスもうまくなっている。千秋楽が最良とは限らないのが芝居の難しさで面白さであるが、この作品のそれはきっと千秋楽であった。
変化の具体的な一つは、ベテラン市議の存在である。中津留氏が「そこ」に触れながらも芝居には収まりきらずに終えていた部分が、役者の演技によって炙り出され、含蓄のある=現実への奥行がイメージされる場面になった。
彼ら「かつての政治」を体現する市議はコンプライアンス優先で表面的なクリーンさを求められる趨勢では「汚れた政治」「不透明な政治」にカテゴライズされる。だが「言葉に責任を持つ」政治家の矜持は(目に見える評価に繋がらないためか)軽視される中、彼らはそれを自らに課する。スキャンダルを騒がれ、損を被っても表立って抗弁せず、党と盟友に筋を通す彼らの背中に滲む悲哀が、軽薄な新自由主義の犬に等しい政治への潜な批評となっている。