実演鑑賞
満足度★★★★★
能舞台のような舞台と出入りの橋掛かりが白いマットで黒い空間に浮かんでいる。いくつかの現代演劇の秀作を上演してきた神奈川KAATの大スタジオ。
演技スペースを囲んで、中央に見慣れない伝統弦楽器を電子楽器につないだような楽器を演奏する音楽監督は内橋和久。上手に謡手の七尾旅人。意表を突く鋭い弦の音が鳴り響いて第一部の「敦賀」が始まる。チェルフィッチュ特有の体の動きとともに、さりげない口調で自分の敦賀をドライブした体験を語りだす旅人(栗原類)。旅人は敦賀のさびれた海辺で、世界の永遠の循環を夢見ながら失敗した高速増殖炉(石橋静河)に出会う。
チェルフィッチュの新作は、今までにない工夫がある。一つは、能の形式を積極的に取り入れていて、その伝統に沿って見るとドラマの世界に入りやすいということだろう。
ステージのセッティングだけでなく、物語のつくりも、ナレーションの音楽化も、第三の登場人物・聞き手の作り方(片桐はいりが狂言のアドで登場する)も、人間ならぬものに人格を与える手法も能・狂言の伝統を利用しているが俳優の演技、セリフ、衣装、舞台の内容も様式も全く現代である。それが混然一体となって、この「未練の幽霊と怪物」という非常に現代的なテーマを浮き上がらせる。
第二部「挫波」では、建設中の国立競技場の周辺を散歩している男(太田信吾)が、斬新な設計をしながら、世俗的な理由から実現しなかったオリンピック国立競技場を設計したザハ・バディッド(森山未來)に出会う。高速増殖炉も国立競技場も人間の叡智を集めて実現を願ったモノではあるが、その夢はいまも人びとの脳裏に残りながら葬られている。そして、その夢への思いは形のない「未練の幽霊」になって今の世にさまよい、廃墟や間に合わせのの「怪物」となって立ちすくんでいる。現代を表現するのに、最も象徴的な二つのモノは極めて政治的な色彩を持つが、その背後には現代に生きる名もない人びとの見果てぬ夢にも裏打ちされている。「三月の五日間」で見た世界を覆いつくすような舞台がここに出現した。
今までにないことで言えば、もう一つは既成俳優や、音楽家の登場である。それで、細部への完成度が高くなった。
演劇は、今見た時点で完結してしまうものではあるが、いつまでも見たという事がに観客の記憶に残ることは非常にまれな幸福だと思う。本年随一の傑作だと思う。一部二部共に55分。間に休憩10分