六月大歌舞伎 公演情報 松竹「六月大歌舞伎」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    『第二部・桜姫東文章下の巻」四月の上の巻の時は初日の前まで席があったのに、下の巻は前売り初日で完売。やっと手に入れた最悪の一等席(上手二階の四列目の端)で見た。いかにも歌舞伎劇の面白さが詰まった舞台で、当代の花も実もある名優二人の名演が見られた。渡辺保さん曰く、これは「画期的」「戦後歌舞伎の代表的な名舞台」「一代の傑作」。つまりは、観劇経験豊かな碩学・渡辺さんが生きて目にした舞台の中では一番と言っているのだ。いつも書くが、ご自身の「歌舞伎劇評」は本当にタダで読ませていただくには申し訳ないような充実した内容で教えられることばかりだが、それだけでなく、今の現代人が古典に接してどこを面白がればいいかも示唆してくださる。同じネットのメディアだから、具体的な観劇体験はすべてそちらにお任せして・・・・、「見てきた」をいうと、
    歌舞伎座がまだ、律義に一席明けの観客席とは思わなかった。多くの公立劇場は既に全席売っている。全席売っていれば、もっといい席が手に入ったかもしれないのに。
    どこかで話題になっていたが、コロナで掛け声が禁止になっている。これは歌舞伎を殺す。岩淵庵室の長い立ち回り。二人の型が決まるたびに客席から締まりのない「拍手」がおきる。
    「松島屋!」「大和屋!」と瞬時の掛け声で次にいけるのに、間があく。次のセリフの頭にかかると聞こえない。勧進帳で飛び六法で引っ込むところ、手拍子が起きると聞いた。手拍子では六法は踏めない。役者は無視するだろうが、これでは歌舞伎と言う演劇のリズムやテンポを殺す。本人はいいつもりでも芝居を邪魔している。だれか言うべきだ。
    劇場で、話すのも禁止、食べるのも禁止と言うのは演劇の歴史を無視した近代科学至上主義者の暴挙であろう。劇場では話すのも食べるのも、息をするのと同じである。昔から「かべす」と言うではないか。それも人と接する劇場の役割である。東宝は爆撃下でも劇場を開けた。松竹にこの規制は劇場の根本を揺るがす、と言う人がいないはずはない。科学者は、それは場内弁当屋の提灯持ちと言うかもしれない。だが、演劇人にも、それがダメなら、死んでもいい、と言う人がひとりくらいいてもいい(内心ではみな思っているだろうが)のではないかと思った。
    孝・玉で75年に京都南座で初演した桜姫は、NHKが当時3時間番組で収録放送した。その再放送が、なんと、大みそかの紅白歌合戦の裏番組(Eテレ)で編成された。終わると大みそかの除夜の鐘。バブル以前の日本は小粋な文化国家だった。


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    2021/06/15 20:44

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