実演鑑賞
満足度★★★★
四百年近い歴史のある人形操りの劇団「結城座」の記念公演。糸操りの人形による職業劇団は見たことがないから、多分唯一の伝統芸の劇団なのだろう。
今回はシェイクスピアの「十二夜」の結城座劇化である。鄭義信の脚本演出で、軸に、藝達者な花組芝居出身の植本純米が客演していて、純粋な人形劇ではないが、こういう融通が利くところもこの劇団の特色らしく、他の普通の劇団に客演して人形の役割を演じているのは見たことがある。
人形劇で一夜芝居にするのはなかなかむつかしく、人形だけでなく浄瑠璃というもう一つの強い味方のいる文楽も苦戦している。しかし「国立」の助けを借りながらでも定期公演が可能な文楽が、かなり前にシェイクスピアの確か「テンペスト」だかをやった時にも、なんでこれを?と言う感想を持った。
「十二夜」はもともと、クリスマスの祝祭劇で、男女、身分の取り違えの面白さに徹したロマンス劇だから、人形を人間と交錯させやすい構造だ。筋がこんがらかるところは植本純米が主人公の従者の阿呆という役柄で面白おかしく芝居に入ったり、説明したりできる。他愛ない話なのだが、蜷川が歌舞伎座でもやったし、旧新劇団はよく上演する。今回は、糸操りで、一メートルに足らぬ人形たちが舞台を作っていく。鄭義信が新たに書いたのは部分は少ないが、その工夫は生きていて、糸操りの人形の動きだけでは避けられない退屈さを救っている。
しかし、この長い歴史のある糸操りの劇団が存続していくのは、厳しい道が待っていることだろう。現に、客席はほぼ満席だが、若い観客はほとんどいない。一方演者には若い女性もいるが、一夜の興行を打ち続けるのは厳しい。伝統演劇の継承存続は歌舞伎のように現状保存で「生きている」ことが望ましいが、文楽や沖縄の演劇をはじめ、時代の波に洗われている演劇も少なくない。あらためてこのよく出来てはいるが新古折衷の結城座の舞台を観て時代の非情も感じた。