パンドラの鐘【4月25日~5月4日の東京公演中止】 公演情報 東京芸術劇場「パンドラの鐘【4月25日~5月4日の東京公演中止】」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    当日券発売が中止になり落胆していたが「見切れ席」というのが代りに売られ(同じ料金)、あっさり観劇と相成った。松尾諭、緒川たまき以外は不知。ヒロイン役の女優が、観劇後パンフを開いて門脇麦と知り、容姿と名前が初めて一致。相手役を務めた金子大地も観客の大半を占める若い女性には叱られる程のネームなのだろう。
    若い二人の初々しさ(小悪魔的と研究馬鹿の取り合わせがまた破れ鍋に綴じ蓋)と、対照的な年輩男女の天晴な屈折具合とが拮抗した役者力で飲み込む。
    最大の関心、野田戯曲の検証(他演出家の手による舞台化)は、コトバの表層でテーマらしさを並べる野田作品の印象を覆して、深い部分に触れてきた。パンフには演出の熊林氏が独自な読み込みをした、といった風な書かれ方をしている。私のような者にとってはこの戯曲に「光を当ててくれた」という事になるのだろう。劇を通じて何か一貫する目線があり、言葉のバトンリレーもその構えの中にあって、言葉遊びがうざくない。言葉が遊ぶ時、人物自身も遊んでいる(遊んだ言葉さえも身体化している)ので、舞台上では台詞に合わせてコマ割りのように身体と場の変化が刻まれ、目まぐるしいが心地よい。
    秀逸であったのは台詞にもある「空気」への言及。一瞬の事であるが人物がさらりと(素を見せて)現代批評を語ったかと錯覚した。
    「鐘」とは長崎のそれであり、古代の遺物が発掘される現代と、古代そう呼ばれたパンドラの町の場面とが交錯する。若い男女と年輩男女+もう一人の男の5名が現代(といっても設定は戦前)と古代では別の役を演じる。この交錯の仕方は80年代流行っただろう「走り回り叫び回る」感じの荒唐無稽系の「お話」であるが、熊林演出はこの荒唐無稽さに汚しをかけ(ぼかし加工?)、含みのある風景に仕上げていた。舞台中央にでかでかと置かれたギリシャ建築風の一部の肌合い、舞台上に置かれた近代的な縦型白色照明、なぜか靴が持ち込まれてドカッと置かれたり回収されたり(視覚的な美を損なわない範囲)、底の抜けた棺の活用など、一つ一つの寓意は読み解けなやいが今回の『パンドラの鐘』の世界観を全体で形作っていた。
    終盤、相合傘の落書きが原爆きのこ雲を表すという展開があるが嫌味なく受け止められた。芝居がこの重いテーマ(売る価値のある?)に着地する事で「成立」するという構成ではなく、そこに至るまでに十二分に「人間」の本音が暴露為され観客的には快楽を得ているので、帳尻合わせに「原爆」を持ち込まれたように感じない。史実の一つとしての原爆の長崎を思う時間は、ふと訪れるのである。
    緒川たまきの中年女性役(二役)は突出していたが門脇麦も「女王」を演じるだけの素材であった。

    ネタバレBOX

    4回コールがあった。3回目に周囲は立ち上がったがもう一度呼び出していた。拍手は楽だ。立ち上がるのも大した労力じゃない。役者を労う、あるいは称賛の気持ちが本当ならもっとそれを表現すれば?と思う。痛くなる程手を叩く(その様子を相手=役者に伝える)とか、叫ぶとか、役者がやって見せたものに「返礼」するならその方法を考え、伝えなきゃ・・と思うのだが。変か? 著名人だからコールしないと失礼と思ってんの?とか、素顔を見せろ、金払ってんだから、という感情なのかな?とか、考え込んでしまう。伝わらないから役者の方も愛想笑いしか出来んのだと思う。
    でもたまに役者もコールに素直に感謝の顔がこぼれるような、そんな場を見る事もある。「いいなあ」と思う。

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    2021/04/26 01:23

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