満足度★★★★
前半でまず状況と人物を立ち上げて、後半になって事件が次々起きて面白くなる。フィリピン独立派がアメリカ軍に敗れた1898年のマニラが、戦後の焼け野原の東京と重なるようなセリフがある。「日本人は熱狂するのが好きで、言葉に酔いやすい」「金だけじゃない、文化も何もかも敗れたんだ」等と。若いアメリカ兵にすがる日本人女性など、戦後のパンパンを思わない人はいないだろう。
第三場の領事館に場面変わって、さらに舞台の深みがます。カラユキさんの女性5人のなかに二人、男性登場人物と片思い関係にあるところなど、「かもめ」っぽい。前半ではその気配がなかったが、男女の出る芝居なんだから当然恋が芽生えなければ。ただあまりロマンスが膨らまず、それぞれ袖にされるのはもったいない。
女衒の秋岡(田畑祐馬)を、独立派義勇兵の梶川(今井公平)がアメリカ軍に密告する。梶川は女たちに「あんたたちは奴隷にされているんだ。さあ、逃げろ。自由になるんだ」とけしかけるが、逆に女たちは秋岡といっしょにいることを選ぶ。家族からも社会からも見捨てられた自分たちが、頼りになるのはこの男だけというわけである。この人間感情の複雑さが薄っぺらな正義を跳ね返すところが面白い。
さらに中尉と決闘して勝った秋岡が「自分は生まれ変わる。お前たちはどこでも行け」というのに対し、女たちが「私たちは仲間じゃ」「自分だけ人間のつもりだったのか「裏切りもんは突き飛ばせ、売り飛ばせ」と攻め立てる。ここでは先の秋岡頼りからさらに女衒と女たちの関係を深く掘り下げて、男が女に縛られている構図を浮かび上がらせる。女衒と女たちの共依存というべきか。
秋岡が決闘の時に「なん百何戦の女たちの声が聞こえる」と言っていたが、この5人の女が責めさいなむ声こそ、秋岡の頭の中でなっていたものが現前したものだろう。
劇場で旧知の俳優が「ああいう女衒や女たちを国家が利用しながら、踏みつぶしていったことを、秋元は見据えて書いている」と語っていた。そういうこともあるかもしれない。
女優陣がしり上がりによくなっていったのに圧倒された。のんだくれのいち(伊藤麗)がよかった。秋岡の薩摩弁(?)も見事。ただ、客席の第一列で見たせいか、男優たちは声が概して大きすぎてせりふ回しが固いように感じた。感情よりも理屈をいろいろ考えさせられた芝居だった。前半60分、休憩20分、後半80分。合計2時間40分