満足度★★★★
昨年の別役実戯曲の上演、そして2018年TOON戯曲賞を受賞した今作と、非坂手戯曲かつ社会派プロテスト演劇的要素のほぼ無い、(それでも十分見せる)燐光群の舞台が観れた。
岡山県の作者の実家がモデルだという本作は、昭和中期から現代が生存時期になる四兄弟の家族の物語で、今は高齢の母一人が住む実家(開店休業となって久しい計量器販売店)が舞台。舞台奥に並んだ計器類は岡山のその実家から借り受けたものだという。魅力的な作品であったが、こういう作品の魅力は言葉にしづらい。
母と同居していた長男夫婦の夫は鬼籍に入り、妻が重病で入院した今、(母を一人に置けないという理由で?)東京から来た次男夫婦がしばしの逗留をしている様子で、そこに地元で暮らす四男、大阪で暮らす三男、最後には長男の息子とその嫁、孫が訪れる。血族が織りなす歴史が垣間見え、来し方から今に至る必然=リアルが細密画のようである。こういう作品が魅力を放つのはまず都会から見た地方の風土への憧憬があるだろう。そして家族問題の普遍性、絶妙な距離感でのコミュニケーションのあるある感(多兄弟が集う雰囲気を私は親の世代に見ているが今の若者はその体験を持たないかも...)。
この作品に流れているのは「変わり行くもの」への思いだ。変わらないものの方が多いと思わせる「地方」の佇まいが、変化に気付かせ、無常感を催させる。
「地方」というのは象徴的な意味も含む。冒頭、富山の薬売りが登場して面白気なやり取りをして去って行く。「無くなった薬だけを補充しに来る」という、今流行りの「最適化」とは対極のあり方もそうだが、薬とは別に1本3千円のリンゴ酢を3本、「お母さまがお好きとの事で、お嫁さんが買って下さっていた」と売りつけようとする営業の男を最初はいかがわしく見ていた次男が、最後は「よっしゃ」と買う事を決める瞬間、都会暮らしの警戒モードから地方モードへ次男がシフトするのが判る。「一回3本」とは営業の男が盛った話で、実は「たまに一本だけ買う」が真相と後で判るが、男らは騙された気がしていない。
金銭換算で値打ちを測る思考に絡めとられない言動の方を、戯曲はさり気なく登場人物に取らせていて、それが昔風な構え方として目には映る。
不在の二人(長男夫婦)は後半に入って存在感を示す。母と長男(の亡霊)との会話(あるいは生前の会話か?・・時期は不明)によって、最後まで登場しない入院中の妻と彼の夫婦時代を語る(場面は病気の進んだ長男の死去間際での母との会話に見えなくもない)。頭脳明晰で仕事もできる身でありながら田舎に暮らす自分に嫁ぎ、苦労をさせただろう事、しかし自分はなぜか彼女には優しく出来なかった事、それでも彼女はその後半生の唯一の趣味となる短歌と出会い、せめて彼女のために歌集を自費出版した事が置き土産となれば良いと思っている事。。
老母を演じているのが鴨下てんし(男優)だがこの時点で違和感はとうに消え失せている。
夜が明けた朝、白い陽の光が注ぐ中、最後の場面では長男の息子夫婦と、その息子(子役に子供が登場!)が現れるのが鮮烈で、この孫によって(彼にとっての)祖母が詠んだ歌が紹介される。
次世代へとバトンを繋ぐ・・そのために自分らも存在する・・。ありきたりなメッセージさえ新鮮に感じさせるのはこの戯曲世界の「本当」の力であるのに違いない。今という時代を思う。