満足度★★★★
戯曲には運・不運があるとつくづく思う。あまり上演されない、いい作品を見た。
秋元松代の「マニラ瑞穂記」は、64年の「ぶどうのの会」の初演。「村岡伊平次伝」の続編のような作品だが、ほとんど再演されていない。前の芸術監督の栗山民也演出でここで再演(2014)されたときも珍しいものをやると思った記憶があるが、結局見なかった。今回はこの劇場の研修生の卒業公演で、研修所長を務めた宮田慶子の演出である。
感想をいくつか。
改めて、秋元松代の戯曲のち密さにおそれいった。この作者の場合は、演出を兼ねる事がなかったために戯曲に全力投入されている、内容はもちろんだが、場割の構成から、登場人物のキャラ、セリフ、俳優の出ハケ、まで考え抜かれている。
日本帝国主義の拡大期を舞台にしているが、南方を舞台にした作品は珍しい。時は20世紀にはいる直前、アメリカの統治時代になろうとするころのマニラ日本領事館が舞台である。スペインからアメリカへ、その争いの中で独立運動や割って入ろうとする日本の思惑など、歴史的にもなじみのない背景が、あまり説明セリフがないのによくわかる。登場人物は日本領事館の領事や駐在武官と、内乱を畏れて逃げ込んできた南方進出の女衒と女たち。上部構造と下部構造。約二十人の登場人物が巧みにかき分けられて、研修のテキストにはもってこいの本である。だが、それだけではない、今見ると、南洋に売られた日本の女性たちが、男どもの小賢しい政治を乗り越えていく逞しさが心に残る。さすが、日本の女性劇作家の先陣を率いた作家である。向こう気の強い作家だったから、当時、ぶどうの会のみならず、日本演劇界の精神的支柱であった劇作家木下順二への対抗心が内心あったかもしれない(ただの個人的推測だが)。劇がしなやかで強い。
演出の宮田慶子にとっては自分の生徒たちの門出の公演なのだが、昔の宮田演出らしい、優しいタッチだ。生徒たちもそれぞれ持ち味を引き出されてのびのびとやっている。この研修所は全国から俊英集う演劇の東大みたいなところ、と聞いているが、なるほど、皆うまい。普通、こういう卒業公演だと、幾人かの力不足があからさまに出てしまうのは、やむを得ない、となるのだが、一人もいない。これも恐れ入ったところで、もう、どこでも使えそうだ。俳優は経験が大事で、研修所は囲い込む必要もないのだから、これから、積極的にいろいろな舞台で見てきたいものだ。
舞台は、卒業公演と言えないような本格的な舞台作りで、装置、音響、それぞれお金もかかっていて、観客もこの料金では贅沢に芝居を見物できた。