キオスク【東京公演一部中止】 公演情報 兵庫県立芸術文化センター/キューブ「キオスク【東京公演一部中止】」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    前半はまだテーマがわかりにくいのだが、後半にナチス支配が確立した中、それぞれの登場人物の選択が胸を打つ。いい芝居だった。フランツ(林翔太)とアネシュカ(上西星来)の2回のデートシーン(スピーディーで大胆で楽しそう)や、フランツがゲシュタポ本部にお百度踏む場面など、演劇的省略と早回し的動きでを圧縮してみせ、印象に残った。上西星来が演じる奔放なボヘミア少女がよかった。青春の夢と儚(はかな)さを体現していた。

    最初は湖のある故郷から都会に出て恋を知るフランツの生活がメイン。ナチスの台頭や、ユダヤ人への嫌がらせは点描に過ぎない。後半になって、オーストリアが合併されると、キオスク店主のトゥルスニエク(橋本さとし)がゲシュタポに連れ去られ、フランツ一人が時代の激流の中に残される。そんな中、フロイト(山路和弘)との会話、それに背中を押されたフランツの「愚行」が胸に染みる。

    フランツの1937年晩夏から翌年6月までの1年足らずの体験だと知ると、悪気流の加速の激しさ、彼の成長の速さにめまいがする。キオスクの店のセットの上に、何度も故郷の山と湖を描いた背景画が掲げられる。何か意味があるのだろう。セットが示す二重性は、故郷の母とフランツが常に絵葉書をやり取りすることともつうじている。日々の出来事を書くだけのたわいもないはがきだったのが、最後は、母を心配させないために嘘を書く。でも、母はフランツに危険が迫る直前、湖畔に大きなかぎ十字を幻視して、予感する。

    前半65分、休憩15分、後半90分(計2時間50分)だが長さを感じなかった。特に後半。

    ネタバレBOX

    フランツ「ぼくは嵐の中で櫂を失って波に揉まれるボートのような気がするんです」というのに、フロイト「たどるべき道を知っている者などいはしない。人は闇の中を手探りする。小さな灯りすら見つからないものだ。そして生きた証を残すには、かなりの勇気か根性か愚かさ、あるいはその全てが必要だ」という。

    フロイトは行動のために「愚かさ」が必要なことを説く一方で、別の時には「何も知らないほうが幸せだ。無知は時代の指針だ」とシニカルにつぶやく。「愚かさ」の力とともに、「無知」の落とし穴が同時に見えてしまう相対的視点だ。フロイトは行動の人ではなかった。

    とにかく、最後にフランツのささやかな「抵抗」が心に残る。トゥルスニエクの片足の短いズボンを、かぎ十字の旗のかわりにゲシュタポ本部に掲げるのだ。そのズボンが風にたなびき、朝の光の中、「何処か遠く」を指す人差し指のように見える場面、これは忘れることができないだろう。藪原検校のラスト、腰と、首を「三段切り」された主人公のように。舞台を通して要所要所で影絵を使い、ラストも違和感なくビジュアル化した演出も良かった。ラストにも流れるしっとりとしたテーマ曲も余韻を残した。

    最後の場は時間を飛んで、1945年3月12日、フランツもおらず、残ったキオスクをのぞくアネシュカがいるが、すべてが炎に包まれるかのよう。

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    2021/02/14 10:38

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