満足度★★★
さすらい姉妹も出没しない2020年末はこれが見納めになった。
ちょっとした勘違い、2年程前のあの秀作を書いた女子、と思っていたが今回初であった(どうりで全く様子が違った)。
柳生二千翔という書き手の名はよく目にしていたが、初観劇の印象は、大きく言えば近年の「独白」を主とする若手劇作家による戯曲の範疇(他の作品はどうか判らないが)。アゴラ界隈では綾門優希や、昨年岸田賞受賞した市原佐都子。この路線に道を敷いた地点(役者各々がてんでに発語する=ダイアローグではない)と親和性のあるイェリネク、最近見出された松原俊太郎は、言葉を殴り書きしたような戯曲で、舞台化には「演出」が要になる。
今作は、パンフのあらすじが復讐劇を匂わせていたのに対し、幕が開くと全編登場人物3人各々が順次登場して聴かせる長い独白であった(一役登場3場程だったか)。独白すなわちその時点での心情や思考の吐露であるから、ストーリーの進展スピードは静止に近い。とは言っても、各人「何か」を演じようとしており、「声の出演」が登場して「何か」が進んでいる感じはある。
物語・・太古から山に住む「獣」という謎の生き物が、「はじめて人を殺す」。人々は獣を恐れて山を下ったが、殺された者(リシリ)の親である漁師シラスは山を登る.。そして20年後、シラスは未だ獣を見つけられない・・以上がパンフに書かれた「あらすじ」だ。神話的世界が提示され、人間の時間的・物理的有限性と対照的な悠久の時間が、芝居のテンポで目指されているようではある。ただ「初めて人を殺した獣」が何かを暗喩していそうでそれが何かは掴めなかった。獣(高山玲子)とシラス(洪雄大)は交わる事なく、ナキアミ(渡邊まな実)がどう関係するかは不明。抽象性の高い詩文学的・哲学的なテキストは、テキストの中で辛うじて劇を締め括っていた。
問題は、テキストの世界と視覚化されたステージとの落差。特に女性二人の発声や動きが、作品の抽象性になじまず即物的に身体性を主張している。テキストと、発語する身体とのもっと適切な区別・整理の仕方があったのではないか。