満足度★★★★★
鐘下OPALで忘れ難いのは「汚れつちまつた悲しみに」。その後も蛇口の水滴が時を刻むヴァイオレントな鐘下舞台を桜美林で観てきたが今回はその衝撃に近い。同演目は以前虚構の劇団による千葉哲也演出版を(確か雑遊で)観たが、彼らも若かったが現役学生、即ち登場人物である学生劇団メンバーと同年代である俳優らの存在感が数段優っていた、というより彼らそのものである。その分年齢の遠い役では苦戦していたが。だがその高い壁に向い、がむしゃらに食らいつく姿がある意味作品中の彼らに重なる訳でもある。
入場すると茶系の時代がかった柱や台、周囲に眼を向けるとやはり赤茶けたトタン板が張り巡らされ、塗装が剥げて焦茶の地肌が覗く鉄骨が劇場全体、天井にまで渡されて居る。ふと何処かの倉庫劇場かと違和感なく客席で場に馴染みそうになるが、いやいや全て設え物(のはず)である。両面客席が棚田のように組まれ、奥が闇に消えている。劇場の隅々まで舞台の時空を行き渡らせたい学生らの?ひたむきな心を想像する。
威しの音響が若者向け、ライブハウスで大音量に身を任せた昔を思い出す。かと思えば遠くで唄う声など繊細な仕事は、プロの手触り。随所に演出的趣向があるが、何よりイノセントを旨とする(巧まない)若い俳優らあって初めて効奏するもので、補助というよりハードルである。
自由の境域の先へ踏み出す危険と快楽がそこにあった「良き」時代、男前の作者の「出来すぎた」青春の日々を如何に憧憬しようとも絵に描いた何とかの部類、以前は決して自分の人生とシンクロしない話なのであったが、ここ桜美林徳望館劇場で展開するのはその炭坑出身の学生が主人公ゆえのカタルシスがトタンに囲まれた箱の中に反響し、、恐らく自分がその位置にあるだろう周囲の者共の中に突き刺さり、観客も彼の挙動に完全に同期する。
全員が孤高であり一まとまりに出来ない痛々しい「個」でなければ真の群像とはなり得ない事を感動とともにかみしめた。