私たちは何も知らない 公演情報 ニ兎社「私たちは何も知らない」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    平塚らいてうをはっきり主役に据えた作劇、そしてキャスティングで、凡そ想像していたビジュアル(雰囲気も)を全く裏切って、歴史劇(フィクション性は抑制され史実をなぞる劇)でありながら、演出的工夫により現代翻案に等しい舞台となっていた。

    ネタバレBOX

    ロングラン公演も終盤であったが、「女性」=弱者と「同情」という構図を凛として拒む女性像、故にであろうか、感情的な高揚という面では肩透かしである。
    だが逆に、らいてうとその生涯の伴侶となる男(唯一の男優)との関係にしても、他の編集員らの懐妊・出産を通じて見える男像も、敵性を滲ませず(男を女の敵として登場させ溜飲を下げるといった場面がない)、「既に自立した」存在として力強く生きる女が描かれる。
    そして終盤、らいてうは「青鞜」に関わった人達の未来の姿を映した夢を見る。軍国婦人となった人、抗った人、変遷を遂げる人、らいてうもまたその一人である歴史を生きた女たちが瞬間、群像と映る。らいてうの「未来」は即ち我々の「過去」な訳だが、この登場人物らは現代性濃厚なだけに、らいてうにとって未知なる事態は我々をも待ち受けている、と予感させる。
    朝倉あきの裏のない演技、技のない演技(とはこれ如何に)が舞台を淡泊にしている感は大きいが演出者的には狙いであったかも知れない。
    「原始女性は太陽であった・・」のラップは舞台のコンセプトを明快に表して秀逸。

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    2019/12/20 08:17

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