桃子と百波、ときどき齋藤、空から茜、大地に山脇 公演情報 劇団鴻陵座「桃子と百波、ときどき齋藤、空から茜、大地に山脇」の観てきた!クチコミとコメント



  • 飲み物、ごちそうさまでした。


    暑い日差しの照りつく「埼玉の首都」こと赤羽の、マンションの地下に、その発表会場はあった。元はカラオケ店だったのだという。一階ではボクシングに励むスポーツの汗が動力となり、そこさしこに「若さ」が充満する。そして、階下に降れば、大学生の、語らんばかりの、観客とのセットマッチが用意されていた。



    プレゼンテーション演劇とでも、名付けようか。何しろ、台本がなければ、演出家もいない、舞台監督もいない。つまりそれは、「私」という個体に拠ってしか1分間たりとも存在しえないという、正真正銘のボトムアップなのである。

    演劇はトップダウン方式だ。もちろん役者だってディスカッションするし、舞台を司る演出家に対して、ときには指摘することだってあるだろう。健全だ。けれど、総体としての「作品」である以上は、演出家の世界観からはそう遠くにいけない。束縛されていないようにみえるアドリブ劇にしろ、やはり、メソッドという名の参考にすべき到達点を共有している。



    翻り、彼ら彼女らは「私」を軸としている。ドキュメンタリー・タッチかといえばそうではない。観劇した一回目では主人公と、その心象風景を第三者的「私」の視点で介入していくという「メタ技法」がとられていた。これは使い古されてはいるものの、断片化というか、曖昧さを併せもっている。




    二回目は主宰の男性。夏の期間、プールのアルバイトをしていたらしく、小麦色に焼けしている。語弊をおそれず言えば世界一カッコいいサルである。某ファミリーレストランでも夜勤に入っているそうだが、接客担当ではないので別に宣伝しなくていいのに、と思った。いえ注文させていただきます。

    立教大学4年生。

    0

    2019/09/13 01:02

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大