バルパライソの長い坂をくだる話 公演情報 岡崎藝術座「バルパライソの長い坂をくだる話」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    岡崎藝術座の名は数年前F/Tトーキョーのラインナップで知ったが観たのは横浜。象徴的シーンの並列、役者の身体負荷の小ささ、引っかかりのない抽象画のように何も残らなかった。
    過剰なテキストという顔をもって再登場した(私の印象)神里氏は形的には荒削りだが自身の体験をそれこそ武器にした思索の軌跡の提示が、ある可能性を感じさせた(イスラをSTスポット、サンボルハを別集団だがやはり横浜で)。
    草月会館近くのドイツ文化センターは3度目になるがどれも芸術性の高い作品であった。岸田賞受賞に納得。軽妙と深まりとが波のように寄せて返し、やはり基本モノローグだが静かな語りが壮大なイメージへ誘う作品である。舞台製作はブエノスアイレスで行なったという。演者はかの地で活躍する優れた表現者である四名。船上を模した多様な客席(バーカウンターや二段ベッド、ベンチ、ソファ、礼拝堂の長椅子数列、広い板だけの二等客席などなど)でゆったりと眺める。場所それぞれに趣きがあって良席不良席の別が無い。損得感情からも解放されるこの感覚はかつて訪れたある途上国の空気だ。
    効率性の不徹底を「愚か」と感じる呪縛に当時は無自覚で、どこか相手を見下している自分がぶっちゃけあった。このおかしな時代の到来を目の当たりにして、愚かはどっちかと自問せざるを得ない。
    演劇を構成するのは「行為」であると言われるが、この芝居では母を連れて父の骨を受け取りに来た息子が、骨を渡した二人組の相手と別れるまでの、会話の時間である。あるのは語りだけ。いつ終るとも知れないやり取りの時間、想念だけが廻る時間、彼に次の予定は無いのか、等と考えるが、劇の都合上なのか、作者の性格なのか、このドラマには急ぎの用があるといった「テンション」は持ち込まれない。言葉だけが連なっていく(意表を突く演出的趣向はゆるっとあるが)。船での長旅にも似た時間、拘束=日常からの解放たる所以でもある。傑作である。

    ネタバレBOX

    息子と、その相手と、話者がどちらなのかもう忘れたが(主には相手役)、幾つかの国・地域の風景が紹介される(間違いなく作者の体験だろうと思われる具体的描写)。生地である父島に戻ってバーテンをやってる男の事、そしてチリのバルパライソの長い坂を上った教会の土地から見た海に浮かぶ町の風景。旅情は世界への思念から湧き起り、歴史の視野からも立ち上る。

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    2019/08/24 10:09

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