六月大歌舞伎 公演情報 松竹「六月大歌舞伎」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    鑑賞日2019/06/05 (水) 16:30

    座席2階8列33番

    「月光露針路日本」

    三谷幸喜は、自身の演出法について、映画「ザ・マジックアワー」に出演した市川崑から、「しつこいんだよ」と言われたことを記している。(「シネアスト 市川崑」より)

    これは、脚本家としての三谷幸喜の簡略さと、演出家としての三谷幸喜としての過剰さの対をなすものとして、至極的を射ている気がする。私は、三谷脚本は大好きなので、テレビドラマを中心に、映画でも舞台でも積極的に観る派なのだが、こと映画での傾向から、三谷演出の作品となるとあまり観ようとは思わない。(そのスター配役にも疲れてしまうということもある)

    今回の作品は、三谷幸喜ラブの友人が観ることと、歌舞伎という枠でどんな表現をするのか興味がったこと、初歌舞伎作品(「決闘! 高田馬場」は未見)とは違い歌舞伎座上演であること、そしてみなもと太郎原作であることから観劇した。

    相変らずのサービス精神満載。序から出てくる口上の尾上松也が、場を前説宜しく温めてくれる。歌舞伎らしい華やかかつ込み入った舞台装置が、17人の伊勢出身者の流浪の旅を彩る。漂流→ロシアでの苦難の生活→サンペテルブルクでの女王との謁見→帰還という流れを3幕にうまくまとめ上げ、ユーモアも交えた舞台は、ラストの風景描写をもって大団円。
    日本の情景はラストしか出てこないのだが、まさに歌舞伎の範疇にこの冒険譚を描き切っている。なんといっても群像劇なので、場毎に見せ場を作り主役が替わる古典歌舞伎と違い、
    幸四郎、猿之助、愛之助といった当代人気役者の丁々発止の掛け合いが楽しい。

    しかし、三谷演出のサービス精神は、観客に誤解を与えている。(もちろん、誤解をする観客も悪いのだが。)この舞台はあくまでも、故郷伊勢に帰ることに執着した漂流者たちの、艱難辛苦の10年間を描いたものである。ある者は病気で死に、ある者は事故で死に、ある者は体の一部を失う。そして、キリスト教の洗礼を受けて帰れなくなった者もいる。
    日本の地を踏めたのは、僅かに2人。彼ら一人一人の想いをどれだけ、観客が感じ取れるか。悔しさ、惨めさ、苦しさ、そして希望、期待、絶望というものを味わうことができるか。
    これが舞台の眼目である。

    しかし、三谷作品として観いている観客の多くは、作品の緩急として構成されているユーモアと写実性の境界を失って、全てをユーモアに結び付けようとしているように感じた。

    白鷗、幸四郎、染五郎親子三代共演を「親子でもないのに」「親子のようだ」といじる楽屋オチ、たくあんや牛肉をめぐる食べ物の小ネタ、八嶋智人の達者な話芸、登場人物と観客の掛け合い、どれも楽しい。しかし、一方で余分なところの刈り込みと、プロセスの書き込みが足りないので、本当に見せたいところがうまく見せていない。

    漂着した島でのロシア人と元住民との諍いの件、磯吉がロシア人女性に恋をして帰国を辞めようとする件、共に危機的な状況なのにその結末についての説明はあまりにも言葉足らずではないか。
    一方で、犬の交尾のお遊びは必要?古畑任三郎の物まねは必要?ベズボロトコとイワーノヴナの逢瀬は必要?ラックスマン親子の設定は(この舞台では)必要?実はこれらの前後には、かなり深刻な事態が起きていて(庄蔵の怪我、ロシア側の光太郎抑留の策略、庄蔵や新蔵の洗礼、光太夫と庄蔵、新蔵との別れなど)それらがどうも霞んでしまい、どうも緊張感を引き出せていない。

    特に感じたのが、光太夫と庄蔵とのキスシーンで、観客から大きな笑いが起きるところ。
    このシーンは、永遠の別れとなる強烈な哀切を見せているのだが、観客は男同士がキスをするというのも、ギャグ的要素の1つとして捉えてしまっている。このキスは、10年の長きにわたって苦難を共にしてきた仲間同士、ロシアという地で知りえた慣習を持って気持ちを表現する重要な場面である。

    このキスシーンについては、パンフレットで三上幸喜自身が書いている通り、「風雲児たち」を歌舞伎化しようとした最重要シーンとしています。日本に帰りたいと光太夫にすがりつく庄蔵、それにつられるようにして、虚勢を捨て光太夫に涙ながらに心情を吐露する新蔵。
    涙ながらの別れの場面、人情話として秀逸です。

    サンペテルブルグ内の舞台美術は見事。そこでのエカテリーナ女王、ポチョムキンそして光太夫の3人の掛け合いは、厳かかつ強烈で、ロシアを舞台に歌舞伎的な様式美を見せつけた名場面。3人の力量が歌舞伎界トップにあることを示している。

    まだ公演も序盤、歌舞伎上演という難しさはあるがもう少しメリハリをつけての上演を求めたい。パンフレットでも、三谷幸喜は演出時に、毎度、幸四郎、猿之助、愛之助の3人が、とめどもなくアイデアを出し合い、それを次の稽古では半分近く捨て去っていることを「さらなる高みを目指し」という表現で感嘆している。まさに、それがこれからの20日間に求められる。
    そうすれば、今年の傑出した舞台の1つになると思うのけれど。

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    2019/06/06 14:51

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