満足度★★★★★
鑑賞日2019/04/17 (水) 18:30
座席1階11列20番
まず、私事で申し訳ない。
私の実家は墨田区の東向島、東武線の東向島駅でここは昔「玉ノ井」駅と言った。
私の実家は蕎麦屋をやっており、父は永井荷風を何度か見かけたそうである。
私の幼少時以降、昔の赤線風情はかけらもないが、「抜けられます」にあるような迷路のような道筋にその名残はある。実家の蕎麦屋には、荷風好きの人が散策がてら寄ることがあり、昔のその辺りのことを尋ねることもあったらしい。
ちなみに、父親や祖父母は東京大空襲経験者だ。
そして、浅草は小学校まで、中学~高校は銀座が私の遊び場所だった。遊興(映画や食事、買い物、果ては飲酒=時効ね)に出かけるとすればこの辺り。実家の菩提寺は浅草にある。
市川菅野に住んでいたことがある。今も近くに住んでいて、本八幡にはよく足を運ぶ。大黒屋は閉店してしまいましたね。京成線は東武線と並ぶ、私の重要な足だった。
さて、こんな私だから、舞台に出てくる土地や名称、その1つ1つが郷愁を強く誘う。何か舞台上を生きている実感がある。もちろん生まれたときには、荷風は故人だったが、荷風の歩いた道は、私の歩いた道でもあるはずなのである。
そして舞台。昭和31年を基軸に、明治32年の青年期に始まる父との確執(といっても、何ともほんわりとした相互に交わされる意地と愛惜なのだが)、昭和11年の玉ノ井通い、翌年の戦時突入への冷めた嘲笑、そして昭和34年の最晩年の「正午浅草」から「正午大黒屋」※そして孤独死へと、「断腸亭日乗」を辿りながら話は展開する。
※荷風は「家」ではなく「屋」と書いている。
荷風役は、御年は荷風の寿命をしのぐ85歳の水谷貞雄。
さすがに、20歳の役には無理があったけれど、初老の荷風と晩年の荷風を鮮やかに演じ分ける。昭和11年の玉ノ井で老いを感じさせながらも、女に好かれる色丈夫を演じ、昭和12年では背筋をピンとさせ矍鑠たる姿で銀座を闊歩する。一方、昭和31年以降は、世をすねるでもなく飄々と生きる軽妙な老人像を、老いも楽しむ風情で演じ切る。
台詞の最後に「・・・ぜ」とつける粋。
水谷貞雄は、故宇野重吉に役には形から入れと教えられたそうだ。だから特に歴史上の人物を演じる時には、最初の登場からその人物に見えることを絶対命題にしているとのこと。
その点では、冒頭、市川を歩く荷風はまさに荷風であり、そこに水谷貞雄はいない。
父の死後、20年毎に夢に現れる父親との会話は、皮肉や嫌味でお互いへの面当てをしながらも、双方ののんびりとしたやりとりが見ていて楽しい。
玉ノ井でのたった3ヵ月のおゆきとの逢瀬。土砂降りの雨の中で会った彼女を、小説のネタにして、惚れられるとともに去っていく。元妾のおうたに、おゆきとの関係を尋ねられた際の荷風の回答が良い。この場面に限らず、「断腸亭日乗」を芯にしたこの舞台は、終始、荷風という人物をつまびらかにすることに専心しており、変に物語風にまとめようとしないことがすがすがしい。特に事件が起きるわけではないのだから。
タイトルに「新」とつくのは、作・演出の吉永仁郎が過去に荷風を題材にした一人芝居を「正午浅草」と題して作ったことから来ているらしい。ただ、改作といわけではないようだが。
荷風の菊池寛嫌いが、なぜかとても痛快で心地よい。
そして、森鴎外に対する強い思慕も、そこはかとない荷風の純情さを感じさせる。