血と骨 公演情報 トム・プロジェクト「血と骨」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    初日を拝見。客席に多くの演劇人が見られた。劇評家の姿もあって注目度が窺えたが、確かに話題になって良いタイトルである。
    もっとも私は在日の世界を日本人が象る事の困難、況んやこの作品をと見切っていて、観るつもりはなかったのだが直前に「凄い事になってるかも」と期待の虫が這い出てきた。最近注目していた演出家というのも大きな要因となり、観劇。
    構造はシンプルで、在日一世のある男の一代記として描かれ悪い感触はなかった。私は映画版がいまいちだった口で、映画より今回の舞台が良かった。父子の対決図を軸に据えたことで世代の継承の視点からこの異形の男の存在を捉え得た、というのが理由だろうか。
    ただし「俊平」その人の存在を本質から形象し切れていないとの感想は映画に同じ。想像の中でしか作れない人物なのか・・判らないが、乱暴な言動の背後に流れている何か、核を掴むことは確かに大抵ではないとは思う。
    舞台は暗転を多用した点描スタイルのニュアンスもあり、暗転になると人と物の出入りの際、芝居でなく作業員のようになるのが、私としては気に食わず、照明が落ちても役の気持ちでいて良いように思った。「割切り型」と「粘着型」とあるとするとこの芝居は「割切り型」(最近見たのでは「はだしのゲン」が典型)の構成と言えるか。
    俊平の妻・英姫役は立派な関西弁でパキパキと喋り、韓国訛りとして「ツ」を「チュ」に変える配慮をやっていたが単純変換で機械的。この違和感というのは、関西弁の使い手として人選されたとすれば、韓国訛りなど入れず流暢に関西弁を喋ればよく、韓国訛りを入れるならむしろ関西弁はうまくなくて全然よい。最初に出てくる「あてつけ」を「あてちゅけ」と読ませた変換は、「あッてちゅッけ」(小さい<ッ>は短く跳ねる)もしくは「あでちゅッけ」と行きたかった。台詞には無かったかも知れないが「ざ」は「じゃ」になる。こだわるなら粘っこくこだわってほしく、こだわらない(割切り型)なら、むしろ韓国訛りが要らない。日本で育って自然な日本語が話せる設定でも他郷人らしさ=どこか遠慮がちである等=があればいい(それが出来ないから言葉で対処しようとしたと言われれば黙るしかないが)。
    今回どういう事情か知らないがアンケートを取っておらず、ビッグな芸能人でもあるまいし、様々な疑念が湧く。出来についても批評を臆するような出来でなく。憶測を逞しくすれば、コールの際にスター然と佇んでいたあの役者の要求か、などイメージ的には最悪である。そもそもアンケートを取らない事の意味のほうが不明で、私には論外。舞台が思いの外良かったから非常に惜しい思いを抱えて劇場を後にした。

    ネタバレBOX

    少し考えたが、今回出演予定だったみょんふぁが体調不良で降板、クレームはなかろうが「彼女のチャーミングな立ち姿だと随分違ったかも、、」等の一言くらいはもらったかも知れない。役者への配慮。だがもしそうならこの措置は妥当と言えるか。私はその想定自体が許せん、となる。役者交替で舞台の質が変わるような作品だと自認している事が論外だ。
    またこうも考えた。今や紙に感想を書く人など僅か。それにアンケートを請う謙虚さでお茶を濁してる印象を持たれたくない。舞台に自信があるからこそアンケートを乞わない態度が正しい在り方である・・。
    いやいや。作品は一つでも観客の受け止め方は様々であり、それを「知りたくない」という姿勢が演劇をやる者としてどうなのかという話。違和感は拭えない。

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    2019/04/14 02:23

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