満足度★★★★★
2019.2.2㈯ PM18:00 千歳烏山 演劇集団アクト青山アトリエ
暗くなり始めた夕方の空の下、千歳烏山の駅から演劇集団アクト青山のアトリエへと、小西優司さんと飯田南織さんのユニットOrtensia第四回公演『朝に死す』を観る為に急ぐ。
思えば、去年の丁度2月から、毎月このアトリエにOrtensia、演劇集団アクト青山の公演と足を運ぶようになって丁度1年になる。
まさかこの時、演劇集団アクト青山が3月末で解散するとは思わずにいた。だが、何とはなしに、演劇集団アクト青山のアトリエが移転するのかも知れないとは漠然と感じていた。このアトリエで観る最後のOrtensiaの公演。
アトリエの中に入ると、いつもとは違う舞台の設いに、胸が高鳴る。
入って右手側、普段は客席になっている所に舞台が設えてある。その舞台に向かって横一列に並んだ客席が4、5列後ろ数列が少しずつ高くなるように並べらていた。2列目の真ん中の席に座り舞台に目を向けると、その舞台はピンクベージュの緞帳が下ろされ、人ふたりがすれ違える程の幅しか無く、舞台の左手には電信柱が1本あるだけ。
18:00幕が上がるも、照明は、2人の姿が浮かび上がる程度の極限まで落とされた薄暗い状態。それだけに、声とその所作や動きから2人の表情を探り、情景を自らの中に思い描こうとし、その表情を確かめようと食い入るように集中して舞台を観て、全身と全神経、五感を総動員して『朝に死す』の世界へと引き込まれて行った。
今まで、小西優司さんの書き下ろしOrtensiaの舞台だったが、今回は清水邦夫の『朝に死す』を小西優司さんの演出で、Ortensiaの『朝に死す』を作り上げている。
簡潔にあらすじを書くと、中は工場か何か大きな建物と思われる大きな灰色のコンクリートの壁の前に、若い男(20歳)が女(18歳)を背負ってやって来てくるのだが、どうやら男が仲間を裏切ったことで撃たれそうになったところに、飛び込んできた女の脚に弾があたり、歩けない女を背負いここまで逃げて来たが、男は追っ手から逃げている為、女を置き去りにしようとするが、何故か出来ずにいるうち、それまで顔も知らなかった2人が、片隅で生きるという共通項を持つことを知り、追っ手から逃げる男と男に捨てられたばかり女の奇妙な会話が始まる…という話。
殆ど舞台装置もない舞台の上、照明も極限までに絞り、音楽や効果音もほぼ無い、あるのは2人の役者と発せられる息遣いと言葉と、抑制された動きから発せられる音と追っ手から狙われる男と男と別れたばかりの女の2人の心情感情の動きという、限界まで削ぎ落とされた舞台での芝居は、この2人だから成し得、成り立ったと言える。
観て初めて、『朝に死す』の意味が解る。照明も極限までに抑えられ、中盤近くまでは表情すら目を凝らさなければ解らない中、声だけで、身じろぎの音ひとつで、何が起こり、どんな表情をしているか解る。
そこには、それぞれの追い詰められた理由こそ違え、確かに追い詰めれた20歳の若い男と、18歳の僅かに少女を脱したばかりの若いオンナが居て、ヒリヒリと焼かれキリキリと胸を引き裂かれそうな痛みと葛藤が、この身に移されたような感覚を味わった。
1時間という時間の中、舞台装置もなく、照明も極限までに絞られている事が、緊迫感を生み、乗り出すように息を詰め、じっと耳を澄まし、目を凝らし、神経を集中して観ればこそ、目の裏と脳裏に場面、表情、情景が浮かぶ。凄い舞台であり、ゾクゾクする面白さのある舞台だった。
文:麻美 雪