満足度★★★
日本昔話レベルで知られた話とのことなのですが、わたしは原作を存じませんでした。
どんなことでも、変化球の良さを知るには直球を知らねばならない、と思っているので。
読んでみたいなぁと後から調べてみると、森鴎外著の小説が別の題名であり、それは数年前に舞台化もされていたようで。
そういえば、そちらは目に耳にしたことはある気がする・・・と思いつつ、知識の狭さが恥ずかしい。
東洋企画さんは少人数の公演もありますが、大人数の場合はもうほんとに大人数。
個人的には続けて観ることで、この世代の役者さんを幅広く知る機会を得られる劇団さんでもあります。
作風は芸術性が高く、扱う題材は幅広い、今回はその中でも古典の改稿。
殺陣がメインではない時代劇でした。
時代劇の演劇といえば殺陣が魅せ場・・・というイメージを持たれがちな印象ですが、そうではないところがまた良かったです。
物語は吃音の語り部によって進められる。
演じているのは繁澤さんということもあり、應典院で吃音教室が催されていることとの繋がりを感じます。
お芝居は、語り部が聞いた話を書物に残すというかたち。
現実でも「安寿と厨子王」という説話を元にして森鴎外が小説を執筆しており。
実際に起こった出来事を物語にする、読み物にするということは、あくまでも作り物あるいは芸術作品であり、事実とは異なるのだということが表現されてました。
個人的には、歴史学と考古学の違いというものを、つらつらと思っていたり。
書物から歴史を研究するのが歴史学。
物から歴史を研究するのが考古学。
書物、この場合は歴史書になるわけですが、それって極めて不確かなものじゃないですか。
歴史書はその時代、その時代の覇者となった者が、己の都合の良いように後世に残したものが圧倒的に多いと思うのです。
事実が改ざんされ、省かれ除かれる。
しかし本当はこうだったのではないか、と思い巡らす余地があり、そこに浪漫がある、等々。
運命というものは、抗いがたいチカラを持っていて。
自身の思いは取り残され、取り巻く環境や人間に飲み込まれてしまうこもある。
歴史を生きる人物の人生をみていてしばしば感じる無常がありました。