北村明子 Cross Transit project 「土の脈」 公演情報 北村明子「北村明子 Cross Transit project 「土の脈」」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    だいぶ日が経ってしまったが・・。
    某演劇プロデュース会社の女社長の名と同じ名で覚えていた舞踊家。国際交流・制作をこのかん精力的に行なっているという。今回はインドのある地方の「歌い語り」の芸能(その第一人者を招待)、その地方に伝わる武術と結びついた舞踊(カポエラのような?)も舞台に登場していた。北村女史はこの地方に実際に訪れ、触発されて今回の企画に至ったとか。製作の重要な一端を担う音楽の人も当地を訪ね・・・初めてだけに事前情報は仕込んで観劇に赴いたのだが。

    ネタバレBOX

    率直な印象・・・。
    国際的な活動は「舞踊」(作品)にとっての手段ではなく、国際交流試合そのものが目的となっている(手段化し得ていない)、という様相が気になった所である。
    「手段化し得ていない」とは、北村明子メソッド、ないしは目指すもの・探究テーマが確固としてあった上で、アジア諸国のアーティストとの共演がその「手段」として位置づけられる、という具合になっていない、という意味だ。
    大変失礼な事を書いているやも知れぬが(製作の苦労は尋常でない事だろうが)、作品そのものの成り立ちが、先方の持ち込み(実際はこちらが共演を申し込んだ訳だが)を受容するのは良いが、それに乗っかってしまったような感触。つまり迎え撃つ側の主体が弱いのだ。
    従って、何のための交流か・・・疑問が湧く。
    北村女史は、現在は西洋から持ち込まれた舞踊が主流だが、もっと近いアジアが芸術・パフォーマンスの宝庫である事に気づき、今は目がそちらに向いている、といった趣旨をパンフか何かで述べていた。この発想の入り口はよく分かる気がする。
    ただ、具体的に発見した「何か」・・・今回はインドのとある地方の伝統芸能であったが、これらがなぜ「選ばれたのか」・・・(そこまで厳密に根拠づけが無ければならないの?厳しくね?・・突っ込まれそうだが)、そこは事実気になったのだ。これは動機の問題というよりは、パフォーマンスに取り入れる技術の問題であるかも知れないが・・。

    中盤以降、違った風景が見える。パフォーマーの半分を占める日本人の踊り手と、外国の踊り手のコンビによって展開されるコミュニケーション実験のような目まぐるしいやり取りは美味しいシーンの一つだ。これが幾つかあり、「国際交流」の舞台化として見せる芸になっており、秀逸であった。海外の踊り手もうまく踊る。だが、これらは付加された脇筋に見える。これをやるならこれを軸に構成すべきでなかったか。
    幕開き、敷き詰められた砂の上に、ちょうど人一人の尻が乗る位の台座が点在し、踊り手は袖から一人また一人と出てくる。武術系の動きが激しく交差し、やがて台座の一つに腰を落とし、その場所から機敏に動作を開始して別の台座に着く、という場面に移る。そこでは姿勢を低く探るような動きで砂を手でサッと散らす動作が入る。・・この動きが冒頭暫く続くが、この抽象表現の意味合い、比喩、美的要素・・つまり狙いがはっきりしない。目に面白くないのだ。まず、敷き詰めた砂とは自然を象徴すると見えるが、これを踏んでいるだけで十分に接触がなされているのに、わざわざ手で触れ、砂を飛ばすのが余計なしぐさに見えてくる。また台座に座っている状態とは何なのか、何かを読み取ろうとするが分からない。「自分の場所」にこだわる狭量さの象徴か・・・だがそういう病的要素はこの出し物の対象からは外れているように思える、だとすれば「自分の場所」=国・民族?を意味し、そこから互いの事を探り合うイメージか、と考えたりしたが、今それをやる意味があるようにも思えず・・。
    この長い冒頭の段階で、パフォーマンスの狙い所が示されない事が、まず消化不良である。
    中盤以降、ようやくにして徐々に熱を帯びて来るが、音楽共々終盤に近づくにつれ、期待されたのが、舞台四隅に吊された白く光るレースの布である。先端の紐は天井へ向かい、レース布は円錐形を作って「時」を待っているかに見え始め、その「時」には、紐が上方へ引かれ、下方で布は広がり、風景が変貌する・・・テント芝居で言うところの屋台崩し(観客個々の様々な想像の受け皿となる劇的効果)を期待したわけであるが、予想に違わず、徐々に引き上げられていった。
    ・・のだが、ほんの少しで終わってしまった。KAATの高さから言ってもっと「劇的」変化を見せるまで、引き上げられただろうに、なぜその中途半端な高さで終わる・・・?何を遠慮したのだろうか、と。
    まぁ技術的問題が何かあったに違いないと信じたいが。

    終わってみれば、インドの芸能の出番が多く、全体を相当程度浸食した事で、逆に有り難みが・・という憾みもあり、「主体」が霞んでしまう憾みもあり、スカッとしないものが残った。
    前情報ではかなり期待させた音楽も、私にはいまいち存在感を感じさせず、拍子抜けであった。

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    2018/11/30 00:54

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