「マラー/サド」東京公演 公演情報 東京ソテリア「「マラー/サド」東京公演」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    鑑賞日2018/10/13 (土) 17:50

    やっぱりなあ
    オープニングの挨拶長!!!予定を10分以上オーバーして、どうなるのかと思った。
    セレモニー部分の円滑な進行が、こうしたイベントの成否に大きな影響があることを、主催者は判っていないのかな。朗々と組織の説明などされても、観客の心に響くわけがない。

    ただし、舞台は別。1時間20分お疲れさまでした。劇中劇の演出と進行がそのまま、この舞台の物語になるというメタドラマ。映画でこの作品があることは知っていた(クイズで、最も長いタイトルの映画は?として出題されることがあります)けれど、舞台で観るのは初めてだったし、そもそも舞台作品になるものだとは、想像だにしなかった。

    劇中の歌唱は圧巻。実際の精神病院の患者さんが演じていることに、深い感銘を受ける。いや、生半かな芝居ではありません。自由を勝ち取るために、人は何を成し遂げなければならないか、ということを実感として提供してくれます。

    舞台上の檻が自由の阻害を強調し、そこからどうやって出ていくのか、出て行くことは可能なのか、と役者と観客に訴えかけているようです。

    でも、最前列に座っていた前ボローニャ精神保健局局長他数名のイタリア関係者、やたらとスマホで舞台を撮影したりしているのは、お行儀悪すぎないかい?チラチラした画面に気を取られて落ち着きません。すぐ後ろの人となれば、機嫌悪くしたのではないかな。イタリアではOKというわけではないでしょうに。

    ネタバレBOX

    終演後の会場との対話での「ラストに舞台上の檻が外れるかと思ったのですが」という観客から質問に対して、ナビゲータや、他の観客、前ボローニャ精神保健局局長がいろいろと意見を述べるのですが、遅れて出てきた演出のナンニ・ガレッラ氏は一言。
    「そうした演出がよいと言うのであれば、次回はそうしましょう」と、軽く答えておりました。
    その後の、彼の明快な演劇論を聞いてみると、なるほど思慮深い人は、無駄なことは考えないのだな、と得心した次第。舞台とは、「生活」そのものなのだそうです。
    1回性、日常との時間の連続性、その上で演じられるという代替不可能な芸術ということなのでしょう。(昔、ゴダールが、「あらゆる映画はラブストーリーである」と言ったことを思い出しました)

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    2018/10/16 16:17

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